1)新党「希望」
土曜日の読売新聞(13版)一面記事によると、若狭・細野氏が結成を考えている政党名を「希望」とすることで調整しているという。党首に打診している小池百合子氏の意向が反映されたということである。(補足1)
そして、新しい党の綱領には「現実的な外交安全保障」や「情報公開」をあげるつもりであるという。現実的な外交安全保障とはなにか。現実的の反対語は希望的、原理的或いは理想的などである。政党名と矛盾するではないか。これら綱領の予定とする事柄と政党名の矛盾は、新党旗揚げの背景に、何の政治的要請や哲学的理由もないことを示している。
だいたい、小池氏の都政のどこを評価して、彼らが小池氏の下に馳せ参じるのか? 彼女は、歴代の都の行政が準備して来た築地から豊洲への中央卸売市場への移転を、非科学的な屁理屈を並べて中止し、当事者と都に多大な損害を出しただけではないのか?https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42953114.html
彼らは、衆愚政治のトップランナーの下に入り、水面に浮かぶ多量の軽い票を掬い取ろうあつまった人間たちの様に見えてしまう。浅知恵が、衆愚に受けそうな政党名と、それに矛盾する党綱領(予定)における目標設定に現れている。現実的な外交安全保障というのなら、先ず明確に現在の北朝鮮の核装備にどう対応するのかについて発言すべきである。
情報公開というのが、森友問題とか加計問題とかに関する情報を指すのでは、あまりにも国民をバカにしている。そのような小さい問題ではなく、「重大な情報が隠されている可能性があり、それは何と何だ」と明確に言ってもらいたい。それらの目標が過去に所属した政党では何故果たせないのか、その理由も名言すべきである。何も言えないだろう。
私はこれを見て、下らないこれまでのレベルの政党が一つまたできるだけだと思った。「希望」と言う政党名しか思い浮かばなかったのは、要するに、彼らにとっての明確な目標は、国会議員としての椅子だけだからだろう。
現在の政治の欠陥や、その欠陥の根元にある原因が明確に見えているのなら、それを党名に入れたくなる筈である。希望の反対は絶望なのだから、他の政党が日本国民にとって絶望的な場合のみ、その名称は(日本国民が支持すべき)新党にふさわしい。
もしそうなら、今まで所属していた政党が、日本国民にとって絶望的である理由を明確且つ具体的に言うべきである。それが、今後新党が目指す「希望」の方向を示すことになるだろう。
2)現在日本の政治は誰の利益を代表しているのか?
常に問題になるのは、「現在の政治は、一体誰の利益を代表しているのか?」という点である。それは日本国民一般なのか、それとも一部の人間なのか、それとも政治家自身なのか?
江崎鉄磨議員が「官僚の作った作文をしっかり読む」と発言示したように(http://singleprincess-vacation.com/ezaki-tetsuma/)、現在の政治は
官僚主導であり、政治家は舞台で脚本をもらって演じている役者或いは人形劇の人形に過ぎない。これまでの私の知識を総合すると、現在の官僚主導の政治とは、GHQ支配下の政治の延長である。
つまり、重要なことは、日本国の最高権力者は、日本国民がその構成員を選ぶ国会ではなく、米国であるということである。米国からの要望(或いは、誘導とか命令)で、外交や行政の方向が90%決定される。その中身(表紙は別にして)を先ず官僚が最初に知り理解し、残りの10%はそれを政治家が“国会で読む”(=裁可する)ことである。
例えば、経済的な面では、毎年年次改革要望書という文書が日本と米国の間で作られる。日本はそれに沿う形で、経済運営或いは改革を行う。外交や軍事などに関しても、随時日米協議が行われているだろう。
しかし、日本が国家の生存を米国に完全依存する体制下にある以上、日本の政治的外交的方向を米国が主に決定することは、多くの知的な人間には苛立つ現実だとしても、自然なことである。あの様な憲法を持つということは、つまり、日本の政治をGHQとその延長上にあるワシントンの担当官が決めることと同義だと思うのである。
新党を結成するのなら、そして以上の様な事柄が理解できているのなら、それらをどう打破するのか、そのような日本を継承するのかを先ず明らかにすべきである。そして、それを打破するというのなら、その目標設定と方法論を具体的な形で政治綱領に盛らなければならないし、それにふさわしい党名であるべきだ。
つまり、新党を結成するというのなら、先ず憲法をどうすべきかそれを明らかにすべきである。それができないのなら、国会議員などを目指さずに下野すべきである。
3)無能な政治家を生む歴史的背景について:
日本には、何故無能な政治家しか出てこないのか、それには一つ根本的原因があると思う。
政治を行うということに対する重みを理解する人間には、政治家になることは人生における大きな賭けとなる。その逆に、政治を行うことで得られる利益を大きく感じる人間には、その仕事の重みを理解できない愚かな人間が多い。従って、愛国心や民族意識が正常でない国家の代表である日本国には、政治の重みを理解しながら、自分の大事な一生をそれにかける覚悟を持つ人間が多く現れないのである。(補足2)
日本の政治における根本的欠陥は、国民全体が日本国民であるという民族意識を喪失していることに起因すると思う。その結果、現在政治家の家系、芸能やスポーツ界の人気者、それに元官僚(補足3)が国会議員になるが、彼らが優秀な政治家になる確率の期待値は小さい。
その根本的問題が生じそれが解消しないのは、第二次世界大戦での敗戦とその後の国土や国民の疲弊は、日本人としての誇りや自覚を喪失させるものであっただろうし、その泥沼から日本民族を救う気持ちなど毛頭ない政治家が戦争直後の政治を担ったからだと思う。(補足4)それも一概に非難できないのは、それほど過去の戦争とそこに至る日本の政治が酷かったからだと思う。
そのように芋づる式に原因を探れば、現在の政治の根本的欠陥は、更に遡って明治維新以降の日本は近代化路線の企画も外国が行ったからだということになる。(補足5)
この泥沼的状況から抜け出すには、即効薬的な方法はないだろう。長期的視野での対策としては、歴史教育においては、近代史を重点とすべきことである。短期的視野で思い当たる改革としては、これまでの政治家製造システム(補足6)を完全に破潰し、一票の格差を限りなくゼロに近づけること、及び国会議員定数の大幅縮減である。政治家は国家全体を視野に入れる人間を広く1億人のなかから選び、地方の小さい利益を代表するような政治家を無くするべきである。
最後に、先に述べた歴史教育以外にも、日本の教育に対する考え方も大幅に変えるべきだと思う。現在、日本の教育は国家の方針として理系に重点が置かれているが、それは間違いだと思う。
人は、社会をつくる高等生物である。従って、人は自分自身と社会に本来最も関心がある筈である。それにも関わらず、国家の優遇策や経済的理由からだと思うが、高校生が希望するのは理系や医系の学科である。
現在世界は、自然科学の成果としてできあがた現代の科学技術文明を消化できないでいる。それを消化できる可能性があるのは、人と人のつくる社会に対する理解とそれによる社会の未来像の構築であると思う。是非それらに貢献する社会科学者や哲学者が日本から出て欲しいと思う。
補足:
1)「党首に要請している人の意向を反映して、政党の名称を調整する」という文章を、読売新聞の記者或いは編集者は平気で紙面に掲載している。若狭氏と細野氏はアホであると、言っているに等しいのだが、それには気付いていないだろう。
2)あまり詳しく政界のことを知らないのだが、数少ないリスクを取って政治にたずさわって居る人の中に、現総理をはじめ何人かの人が(二世ではあるが)入るように思う。
3)官僚は、政治家的メンタリティーを最も持たない人種である。戦後の官僚的自民党政治家は、宮澤喜一や福田赳夫などであり、官僚的でない自民党政治家は田中角栄、小泉純一郎などである。岸信介や中曽根康弘は元官僚だが、官僚的な感じが少ない様に見えるものの、其々両岸とか風見鶏と言われた。
4)その代表が、戦後マッカーサーの良き協力者であった吉田茂であり、その補佐として実力を誇った白洲次郎などであると思う。中曽根康弘氏の回想録でも、吉田茂についてはあまり良い印象が語られていない。
5)原田伊織著、「明治維新という過ち」などにも、英国の強い影響が書かれている。ほかに、半藤一利著「幕末史」や井上勝生著「幕末・維新」などにも同様の記述がある。2年前のブログにそれに関するブログ記事を書いている。
6)政治家を田舎から過重に選ぶシステムがある。それは政治を家業にして、無能な政治家を多量に政界に送り込んでいる。また、彼らが勢力を維持するために、芸能界とスポーツ界を利用して、人気者を政治家としている。更に、政治家的メンタリティーを最も持たない人種である官僚の世界から、政治家を供給している。
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