1)「政治大国」は、人口、経済力、軍事力、政治力(外交力)、国富(土地、資源、インフラなど)などにおいて大きく、且つ、国際的に影響力のある国とでも定義できるだろう。そう考えると、現在政治大国のトップスリーは米国、中国、ロシアとなるだろう。これらの国は全て、民主政治を採用していないと思う。
中国が独裁国であることに異論はないだろう。しかし、米国が民主主義の国家でないことは、素人には最近まで明確ではなかった。しかし、完全に民主主義的手法で選ばれた大統領を主要メディアが一致団結して引き摺り下ろそうと画策しているところを見て、別に支配層が存在することに気づいた人は多いだろう。これら二つの国の中間にあるのが、ロシアである。
民主政治は、リンカーンの有名な言葉がその定義となるだろう。「Government of the people, by the people, for the people(人民の政府、人民によるその運営、人民のための政府)」である。この言葉が実現しておれば、民主政治がまともに機能しているということになるだろう。しかし、人民の運営による政府が人民のために働かず、人民を苦しめ多数殺してきたのが、近代史である。つまり、民主政治は本質的欠陥を持つ政治制度である。(補足1)
上記言葉で「人民のための政治」が最重要であり、その他の「人民の政府」や「人民による政府」など、どうでも良いと多くの「人民」は考えるのではないだろうか。つまり、人民(あるいは大衆)の望みはリンカーンの民主政治などではなく、自分たちは政治に無関心でも政府がしっかり自分たちのためになる政治をしてくれることだと思う。そのために納税などの最小限の義務は果たすのである。
このタイプの政治は、要するに、「人民が政治の結果に対して不平不満を言う権利が保障され、政府の運営は選ばれた一人または少数の人が行う」政治(by the peopleの否定)である。政府は人民の所有ではないので、政治の詳細を調査する権限も放棄し、情報も人民の不平不満と関係する部分(として要求すること)のみについて明らかにするのである(of the peopleの否定)。
大国は概ね以上のような政治形態を持っている。国益とは長期的にみた人民の安全や福祉を含む利益であり、国益追求が政治のもっとも大事な目標である。民主政治は人民が非常に賢明でなければ、そして、社会という広場において政治参加をしなければ、まともな政治家は選ばれない。それは通常不可能な要求である。更に悪いことに、不足の時代には大衆は集団発狂する可能性が極めて高いのである。
既に、民主政治とキリスト教との関連についてのニーチェの考えは、ブログに書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/03/blog-post_31.html
2)米国の現在の政治は、当に上記のような政治である。伝統的な支配層とそれをバックアップする戦略家やシンクタンクに非公開の組織などを駆使して、最高の知性で国を操縦している。政府は多くの極秘情報を持ち、選挙などもマスコミなどをつかって人心を誘導することで、「by the people」や 「of the people」を否定している。
そのような米国だから、2,3日前に書いたと思うが、民主主義は知恵に乏しい人類の「絵に描いた理想論」として、飾り棚に置くだけが丁度良いことを知っている。それは他国に宣伝し売るための、モルヒネの様なものである。それを使えば、大衆迎合主義となって国を荒廃に導くことを熟知している。昔、アジアや新大陸を植民地化する時にイエズス会をまず派遣したことと相似的である。
具体的には、マッカーサーがフィリピンで痛い面合わされた日本への復讐として、戦後の統治で華麗に民主主義を投与し、廃人的な国家にしたのが良い例である。また最近では、「アラブの春」が良い例である。そして、一昨日も書いたが、自国で民主主義が間違って本来の機能を回復し、トランプ大統領が選ばれたので、なんとか排除しようと全てのマスコミをつかって潰しにかかっているのである。
中国とロシアは、命を賭けた厳しい競争に打ち勝つことで、その優秀さが証明されている人物が政治を担っている。賄賂等の問題はあるが、それは程度の差はあっても何処の国にもある。それを浄化するメカニズムを持つことが必要だが、無くすることは不可能である。それは日常生活の殺菌作業と同じだと思う。
中国人評論家の柯隆氏(富士通総研)はこの問題をあるテレビ番組で、”文化的なものであり、経済活動が滞るような腐敗防止活動は中国にとり却ってマイナスである”と議論していたのが非常に印象に残っている。(西欧のチップや日本の心付けの類かもしれない)
3)日本の政治は、上記のように腑抜け状態である。人民の船であるべき国家さえ、まともなものではない。海賊がきても話し合いを行って平和的に帰ってもらうべきだと本気で考えている人がほとんどである。一旦民主政治が植え付けられると、モルヒネと同じで依存症から抜け出ることが単独では無理であることを見事に証明している。
その日本の本質を見抜いていた中国の首相李鵬は、1993年訪中したオーストラリア首相に「日本は取るに足るほどの国ではない。30年もしたら日本は大体潰れるだろう」と言ったとされる。李鵬の予言によれば日本が潰れるまでに、あと6年しかない。
昨日のBSフジのプライムニュースでは、内閣参与の飯田勲氏が「北朝鮮問題は年内に解決するだろう。安倍総理は北朝鮮を訪問し、拉致問題を解決するだろう」と述べた。(補足2)現在の北朝鮮問題は一歩間違えば数百万人が日本や韓国で犠牲になる可能性がある。それと数十人程度の拉致問題を並列に話す飯田氏の態度にはがっかりである。そのように大衆に気を使うのが民主政治という愚かな政治制度である。
拉致問題は非常に大事な問題(補足3)だが、現在の“北朝鮮危機”に比べれば、取るに足らない問題である。100人の命は1億人の命の1.0ppmに過ぎないからである。政治家は1億3000万人の命の行方を考えなければならない。その大きなスケールを持たねばならない公人の立場で話している時に、私人のスケールを持ち出して話すのは、馬鹿と阿呆の典型でないとしたら、民主主義の欠陥の所為である。
40年前にも日本国の民主政治に毒された本質を世界に知らしめた人がいる。福田赳夫内閣総理大臣である。1977年の日航機ハイジャック事件(ダッカ)で、日本政府は10月1日に「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび超法規的措置として、収監メンバーなどの引き渡しを決断した。そうしなければ、自分の内閣だけでなく、自由民主党そのものが日本の大衆により潰されることを恐れたのである。
この民主主義中毒症状からの脱却は非常に難しいが、北朝鮮の脅威を全国民が感じる今がチャンスかもしれない。しかし、脅威を国民が感じなければ、李鵬の予告が当たるだろう。
補足:
1)チャーチルの「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」という言葉が有名である。これを民主主義が最良の政治形態であることを逆説的に言った言葉だと取る向きが多いが、それは違うだろう。この言葉は、「自分が民主主義的手法で選ばれ、自分の考えがベストであるにもかかわらず、自分の思った通りにはなかなか政治が動かない」という本音というか愚痴を言っただけだろう。
2)この番組の感想は、昨日番組終了後に姉妹サイトに投稿した。https://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/64751923.html
3)この問題は5年前にヤフー知恵ノードに投稿した。多くの人に閲覧されている。https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n62832
(知恵ノートは11月に閲覧できなくなるので、その時までに別のサイトを用意する予定。)
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