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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年8月30日金曜日

徴用工問題の誤った解説:「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局の方の長崎新聞掲載のコラム記事

  「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局の山口響という方が、長崎新聞に掲載した"朝鮮人徴用工 「終わった話」ではない”という記事は、基本的な部分で間違っている。悪意ある反日記事としか思えない。一地方新聞といっても、世界的に著名な地区の新聞であり、コメントを書くことにした。この記事は、https://this.kiji.is/500468475798815841にあったものである。

1)そのコラムは、日本による韓国併合と徴用工問題を、日本と韓国を入れ替えて考えてみようという提言で始まる。つまり、韓国が日本を併合し、日本人を徴用したという物語を作って、韓国人の感情と徴用工問題を考えると、韓国人の云うことも分からないではないという主張だろう。

その主張の主要部分を引用する:

韓国はA国との戦争を始めた。A国の圧倒的な戦力の前に劣勢となった韓国は、労働力不足の埋め合わせのため、日本人を強制的に徴用し、韓国内の工場などで働かせた。 しかし、韓国は結局A国に敗北した。韓国企業に徴用されていた日本人は、未払い賃金を支給されることなく、放逐された。

敗戦から20年たって、かつての宗主国であった韓国は日本と新たな協定を結ぶことになった。①韓国の過去の行為が違法であったかどうかについては問わないまま、韓国が日本に対して一定の経済協力を行う玉虫色の解決だった。②日本人が過去の韓国の行いに対する損害賠償の請求権を持つかどうかは、あいまいなままだった。

  当時の日本は③民主主義国ではなかったため、被害を受けた日本人が政府間交渉への意見を述べることは一切できなかった。 さらに数十年がたち、存命中の元日本人徴用工のほとんどは90歳を超えた。彼らは、最後の力を振り絞り、かつて勤めた韓国企業に対する損害賠償請求の裁判を日本国内で始めた。


ここまでは、山口響氏の間違った歴史認識に基づいて、日本と韓国を入れ替えた話である。この①ー③のところの間違いは後で指摘する。このコラム記事は以下の文章で終わる。

  これ(日本による韓国企業財産の差し押さえ)に対する韓国内の世論のほとんどは、「もう終わった話を蒸し返すな」「日本人はまともに話ができる相手ではない」「日本とは断交だ」といった空気である-。あらためて聞く。あなたは、日本人として、この韓国人の態度をどう感じるだろうか。

2)このコラム記事は故意に日韓基本条約と日韓請求権協定(前節山口氏の文章中の新たな協定)を曲解して、日本人を思いやりのない人間として攻撃している。曲解部分は前節の①と②である。①で日韓併合を違法といいたいのかもしれないが、国家と国家の関係を縛る法はない。(補足1)基本的に野生の関係であり、強者が弱者を支配するのは有史以来の人間の歴史であった。そんな中で、日本政府は韓半島を植民地化せず、同じ日本国としてインフラ投資などを行ったことを想起してもらいたい。簡単に植民地支配と云うべきではない。

国際間に法に似たものがあるとしたら、それは国際的慣例である。国際的慣例に違反した場合、第三国は承認しない。しかし、日韓併合に関して不承認を表明した主要国は無い。その慣例とは、その国の統治者と条約を締結して、二国間の関係を決定することである。その手続、つまり条約に瑕疵がない以上、日韓併合は正当である。

前節②の文章だが、過去の日本の行い(行政)に対して、韓国人が請求権をもつと言いたいのかも知れないが、国家の行政にたいする請求権は、明確に請求権協定第二条で放棄している。更に、法人を含めて国民の間の請求権も放棄している。債権や債務の未調整部分は、当時国が担当することになっている。

この日韓請求権協定は、サンフランシスコ講和条約第4条(a)の規定を基礎に、締結された。(補足2)それを見ればわかるように、そして、請求権協定第二条を見ればわかるように、双方向に財産や請求権を放棄したのであり、韓国側が一方的に財産権を放棄したわけではない。日本人がもっていた資産や請求権も放棄したことに留意すべきである。

前節の文章の③には、著者が条約という国際文化を全く理解していないという印象を読んだ人に与える。日韓基本条約と請求権協定は、韓国が軍政であったので、条約が無効或いは見直しが必要だという主張に読める。それはもはやまともな知性の持ち主の言葉とは思えない。人類の歴史のほとんど全てを反故にする類の暴論である。

この筆者が、「長崎の証言の会」に所属し、被爆証言誌の編集長である。更に、「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局も務める長崎大学等非常勤講師である。日本の原爆被害に関する政治運動を、非常に稚拙で歪んだものにしている原因の一端を見た気がする。これについては、8月10日のブログ記事を見てもらいたい。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/blog-post_10.html

補足:

1)国際法は「法」という名称がつけられているが、国際関係に関する慣習である。ここでは「法」という用語を厳密に、権威と権力を伴ったものとして、用いている。つまり、法があると言っても、違法行為を罰することができない文章は法ではない。

2)サンフランシスコ講和条約第4条(a)の内、「日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする」と記した部分。

2019年8月28日水曜日

日韓問題について米国支配層の考え:米国Newsweekの記事

今回の日韓関係は、45年前の金大中拉致事件や朴正熙暗殺未遂事件の起こった頃に比べて、修復可能であり、経済的マイナスが積み上がる前に修復すべきだという内容の記事がNewsweek誌の日本語版に掲載された。米国に住む冷泉彰彦を名乗る人の書いた記事である。(補足1)https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/08/45.php

この記事、専門的な分析から精度の高い予測を披露するという類のものではなさそうなので、Newsweekが米国在住の日本人ジャーナリストの名で流す、プロパガンダだと解釈される。今や報道機関は、ある政治勢力に所有されている事が多く、その報道はプロパガンダを多く含むと考えて良い。特に、米国マスコミのトランプ批判の記事などは、ほとんどがプロパガンダなのかもしれない。

この人が書いたNewsweekの記事を調べてみて、ある記事を見つけた。この記事で、この人の立場や考えを評価出来るので、非常に面白い。日産のゴーン会長逮捕に関する記事である。この件、米国の一部で批判的に受け取られているのだろうが、その理由が面白いというか馬鹿げている。その副題を読んで、これが米国のNewsweekに力を及ぶす人たちの考え方なのかと思い、非常に参考になる。https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2018/11/post-1048.php

以下がその副題である:

<ゴーン会長逮捕のニュースはアメリカで、企業経営者の強大な権力への批判だけでなく、グローバル企業のトップが日本だけの事件で逮捕されることへの困惑と共に報じられた>

なんと、“グローバル企業のトップが日本だけの事件で逮捕される”と書いているのだ。本文で、NBCの記者の意見を引用して、「グループ企業の総帥に対して、グループを構成する一企業が独断でローカルな国の捜査当局に捜査協力している状況への違和感もあるわけです」と書いている。日本の検察を「ローカルな捜査当局」と呼んでいるのだ。

グローバリストたちがこのように本音を披露するとは信じられないことである。(補足2)Newsweeekがこのような記事を流すとは本当にビックリである。日本人を全く馬鹿だと思って書いたのでなければ、傲慢さが普通の知性を塗り替えるほどなのだろう。米国とはこの様な考えの人達が牛耳る国だったのかと、そう改めて思った。

そのNewsweekの方が、今回の日韓の情況に関して、「今の韓国との関係は45年前の危機に比べればまだコントロール可能」と書いているのだ。1974年には、金大中拉致事件、反政府運動の学生団体を取材していたジャーナリスト2人の逮捕、それに在日朝鮮人文世光が朴正熙暗殺未遂事件を起こしたことなどで、日韓は危機的情況だったというのだ。

しかし、朴正熙は必ずしも親日とは言えなかったかもしれないが、日本と独立した関係を築くことを大事に考えた大統領だった。その日韓基本条約締結に向けた演説には、たしかに反日思想がある。それとて、歴史的真実を韓国大衆に受け入れられるように言っただけであった。(補足3)

従って、45年前の日韓関係は、日本人による大統領暗殺未遂と思われた時は危機的な情況が予想されただろうが、在日朝鮮人による犯行だとわかれば、そのような考えは自然消滅する親和性が両国間にはあった。

しかし、今回のケースは、本質的な歴史的転換点にあると思う。法の不遡及の原則を、対日関係に持ち込んだ時点で、それは明確になったのであり、ここ1−2年の話ではない。親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が制定された2005年に、既に日韓関係は破壊されている。(補足4)その最終段階が今であり、Newsweek誌がそれを理解していないのだろう。

以上、米国はいかに日本を含む極東のことに無知なのか、Newsweekの記事によってみてきた。勿論冷泉彰彦という無知な日系人の所為にするのは間違いだという前提での話である。今後、この種の記事をもう少し見てみたい。

補足:

1)冷泉家とは何の関係もない本名「前田文夫」という人物。『ニューズウィーク』日本版のコラムニストであり、「プリンストン発 日本/アメリカ新時代 」と題して、2009年5月より週に2~3回のコラムを掲載している。

2)グローバリストたちの多くは、ユダヤ系の資本家たちとその周辺の人たちである。(馬渕睦夫氏の云うディープ・ステートを構成する人たち)。彼らの優秀さと傲慢さは、時として思わず本音を喋らせてしまう。例えば、あのブレジンスキー氏は、「最近はネット社会になり、素人が例えば100万人レベルで政治に詳しくなった。彼らを説得するのは困難であり、その100万人を殺してしまう方が早い」という内容の発言を公の場で行ってしまった。https://blog.goo.ne.jp/j4goocast/e/1de6a4269d59548758f92534153ba4d0 (非常に広く拡散している。)

優秀さと傲慢さは同居するようである。既に、中国人民解放軍少将の朱成虎は、核兵器を先制使用して、日本全土を虐殺しつくし地球上人口の削減に言及した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E 3)朴正熙の日韓基本条約を韓国民に説明する演説は、西岡力氏の記事でみつけた。西岡力氏は、日本の朝鮮半島の関係に詳しい「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)会長」である。https://ironna.jp/article/2266
そこには、韓国人一般の反日思想に理解を示す文章が含まれている。その一節を、朴正熙が親日派だと安易に考える日本人のために掲載しておく。
「去る数十年間、いや数百年間われわれは日本と深い怨恨のなかに生きてきました。彼等はわれわれの独立を抹殺しましたし、彼等はわれわれの父母兄弟を殺傷しました。そして彼等はわれわれの財産を搾取しました。過去だけに思いをいたらすならば彼等に対するわれわれの骨にしみた感情はどの面より見ても不倶戴天といわねばなりません。」

「韓日国交正常化がこれからわれわれによい結果をもたらすか、または不幸な結果をもたらすかということの鍵はわれわれの主体意識がどの程度に正しいか、われわれの覚悟がどの程度固いかということにかかっているのであります。」


朴正熙が反日だとしても、この最後の三行は政治家としてのリーダーシップに満ちた言葉である。今日のような日韓関係になるはずがない。

4)最近の日韓関係は、以下の言葉で象徴される。「日本だけは地球上で必ず絶滅させなければならない、唯一の人種」。韓国のニュースサイト「デイリー・ジャーナル」のコラムでこう書いたのは、以前も秋篠宮家の次女、佳子さまについて「慰安婦にするしかない」などと暴言を書いた記者だった。 https://www.j-cast.com/2015/07/23240979.html

2019年8月27日火曜日

ロシアをG7に加え、G8とすることの是非について

フランスのG7会合において、トランプ大統領は次回米国で開催されるG7にプーチン大統領を招待する考えを示した。更に、ロシアをグループに復活させて、G8にしたらどうかと云う考えを示した。この件に、英独仏やEU大統領は反対であるが、未来志向の視点から、ロシアを加入させるべきだと思う。

オバマ元大統領が主導して、ロシアをG8から排除したのは、ロシアによるクリミヤ併合が理由である。その後現在のG7になったのだが、英独仏は依然クリミヤ併合の件で、彼らが考える方向への何らかの進展が無ければロシア復帰には反対であった。更に、EU大統領で元ポーランド首相のDonald Tuskは、ロシアを入れるよりウクライナを入れるべきだと言った。 https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-08-25/trump-says-certainly-possible-putin-could-be-invited-to-g-7

ロシアがヨーロッパで、特に隣国のポーランドなどに、嫌われていることがよく分かる。ただ、共産圏から未だ独裁傾向にあるものの、自由主義圏に移行しているのだから、もう少し理解があって然るべきだと思う。

過去に目を向けての理由として、第一に、ウクライナにおけるクーデターは、オバマ前大統領のときに米国が仕組んだ或いは米国の強力な支援によると言われていること、第二に、クリミヤは元々ウクライナ領であったが、フルシチョフのソ連時代に友好のため、ロシアからウクライナに譲渡された経緯があることなどがある。(http://tanakanews.com/140309russia.htm と、その中に引用されている、https://edition.cnn.com/2014/03/05/world/europe/ukraine-leaked-audio-recording/)

未来に目を向ければ、共産党独裁の国が未だ東アジアに存在し、それが拡大傾向にあることである。その傾向を助けているのが、現在のロシアだとすれば、そのロシアを自由主義圏に復帰させることは、大事な一歩の筈。

英仏の若い指導者は十分これらのことを考えているのか疑わしい。ドイツのメルケル首相だが、彼女がロシアを嫌う理由は元ポーランド首相のEU大統領と同じだろう。十分理解できるが、何とか将来志向になってもらいたい。何せ、日本の首相もロシアと仲良くすべきだと思っているのだから。

2019年8月26日月曜日

日韓問題について:韓国GSOMIA破棄と鳩山元総理と石破元自民幹事長の意見についての報道

1)言論の幅が狭くなりつつある日本:

一昨日配信のヤフーニュースで、夕刊フジの記事が紹介されている。「韓国のGSOMIA破棄に対する、鳩山由紀夫元総理が発表した意見と、石破茂元自民党幹事長がブログで発信した内容がそっくりなのが話題になっているという」と題する記事である。 https://hochi.news/articles/20190823-OHT1T50063.html
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

何か変だなと思って、石破氏のブログを見たところ、鳩山元首相の意見(補足1)とは全く異なることが書かれていた。変なのは夕刊フジの記事の方であった。劣悪なプロパガンダ記事なのかもしれないが、夕刊フジは一応新聞なので、言論の幅が狭くなりつつあるということだろう。そんな日本が気になる。

鳩山元総理のツイッターには、「その原点は、日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある」と書かれているという。しかし、この人の意見など最初から無視すべきであり、現職の政治家を批判するための鳩山利用はやめるべきである。鳩山元総理の件では、そのツイッターの内容を批判するよりも、そのような発言をする人を日本の政党と議会が総理大臣に選んだことを、もっと真剣に議論すべきである。

今回の日韓問題の最も近いところにある鍵となる出来事は、徴用工の問題である。これに関しては、何処から見ても100%韓国側に非がある。徴用工裁判の根底に日韓併合があり、その古傷を刺激し拡大し続けた歴代の韓国政権がある。その結果、現在では韓国のパトリオティズムは、反日という土壌に育てられているのだ。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/03/blog-post_23.html

このような事態は、文在寅が大統領になった時に既に決定していたことであり、本来今更騒ぐことではない。静かに、韓国と距離を取る政策をとるべきであり、感情的になることではない。韓半島はこれから混乱し、そのとばっちりを受ける筈である。そのシミュレーションをして、日本側でできる準備をすべきである。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/blog-post_94.html

2)石破氏の主張とその延長:

日本が韓国と友好関係を回復し維持しようと思えば、日韓併合に不満がある韓国民の気持ちにも一定の配慮があって然るべきであるし、日韓併合の真実を韓国民に勉強してもらう事が必要だろう。石破氏は、自身のブログ記事で言ったのは、あの第二次大戦の総括を日本が未だ行っていないことである。戦争で被害を受けたのは、当時の日本人全てであり、それには韓国人も台湾人も含まれるだろう。

石破氏のブログ記事が、もし韓国に対して賠償が残っているという意味なら、完全に間違っている。ただ、国民のあちこちに、あの敗戦の痛手が残っており、それは本来韓国政府により手当されるべきだが、それがなされていないのも事実だろう。それが、反日運動の土壌(の表層)となっているとしたら、そして、日韓友好を両国政府が考えるのなら、両国ともに問題が残されている:韓国には、日韓基本条約とそこでの日韓請求権協定にあるように、未だ補償されていない韓国民がいれば、それを行うべきであること;日本国には、あの戦争を総括し、何故戦争になったのか、それは本当に防衛戦争だったのか、その戦争遂行であのような犠牲を出した責任は誰が取るべきなのか、等明らかにすべきこと、である。

戦争末期には、悲惨な出来事がたくさんあった。バシー海峡で兵を十万人も無駄死にさせたのはどうしてなのか、ソロモンの七面鳥撃ちと米国兵に言われた無駄死は、どのような経緯で起こったのか? 負けることが確実になったとき、特攻隊など何故組織したのか? 戦況の把握と戦略の立案はだれがどのように、どのような情報に基づいてやっていたのか?  (補足2)

満州事変から日中戦争への戦争拡大の原因は何なのか?満州に何を求めていたのか?関東軍の暴走は何故起こったのか、その責任を明らかにすべきである。また、日中戦争で非難の的になっている都市部の無差別爆撃(重慶爆撃)を何故おこなったのか、その真相は何なのか? (補足3)

更に遡って、日露戦争の評価を何故まともに出来なかったのか、桂ハリマン協定や桂タフト協定を何故重視できなかったのか? その当時の世界戦略は誰がどのように立案して、どのような内容だったのか?更に遡って、何故明治憲法に天皇による軍の統帥権を定めたのか? 大日本帝国は天皇が統治す、及び、国務各大臣は天皇を輔弼する、で十分ではなかったのか。 (補足4)

兎に角、国家の友好関係の樹立維持には、両国の歴史とその背後にある国民感情に対する幅広い理解が必要である。徴用工の問題では、100%韓国側に非があると厳格な態度をとりつつも、その背景に広く存在する歴史と事実を出来るだけ勉強すべきである。石破氏のブログ記事はそう教えてくれるものだろう。ただ、石破茂氏に関して何時ものように残念なのは、何事でも(戦争責任についても)自分の意見を言わないことである。政治家は行動が大事である。それが出来ないのなら、学者になるべきだ。

3)日本は先の戦争の経緯を総括すべき:

日韓併合はロシアの侵略に対抗する能力が無かった大韓帝国を、伊藤博文の反対があったものの(補足5)条約締結という体裁を整えて吸収合併したのであり、自然法則的(補足6)出来事である。違法とか合法とかの議論の対象ではない。(補足7)従って徴用工問題にたいする韓国の態度と司法処理は100%間違いである。その他の問題、例えば慰安婦問題でも、韓国は多くの捏造を諸外国に宣伝している。これも韓国側に非がある。そのように私は思う。(補足8)

石破茂氏の問題のブログ記事の本論は、防衛庁長官時代にシンガポールを訪問した際、当時のリー・クアンユー首相との会談の紹介に始まる。そこで、親日派の同首相の姿勢も、戦争時の出来事の多くを総合しての結果であり、多くの不幸な出来事もあったことを示唆している。その話は、両国民の相互の歴史理解が友好関係の維持には大事であるという意味で引用したのだろう。石破氏のブログ記事の日韓関係に関する部分を以下短く引用する。

我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます。これは国体の護持と密接不可分であったため、諸般の事情をすべて呑み込んだ形で戦後日本は歩んできたのですし、多くの成功も収めましたが、ニュルンベルグ裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならないと考えます(政府自体がヒトラーの自決によって不存在となったドイツとは当然異なることも考慮した上で、です)。17日にNHKで放映された「拝謁記」における昭和天皇様と田島道治初代宮内庁長官とのやり取りを、畏れ多くも複雑な感慨を持って視たことでした。

  17日のNHKの番組は見ていないので、その部分はわからないが、「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化している」という部分は、本当だと思う。ただし、戦争責任という言葉は曖昧である。私は、「戦争になった経緯」というべきだと思う。

天皇を頂点とする政府が戦争へ突き進んだことに対する、当時の日本国民に対する経緯とそれぞれのターニングポイントにおける責任は議論されなければならないと思う。その意味で、日韓併合の結果当時日本国民だった、現在の韓国、台湾、北朝鮮などの国民に対する責任は未だ議論されていないことになる。

但し、韓国民に関する限り、日韓基本条約及び付随する請求権協定により解決済である。勿論、新たに発見された個人的な問題については、日本側に債務があれば補償されなければならないが、それは国策として行われ日本人も従事した徴用工制度には及ばない。繰り返すが、日韓併合は歴史的な出来事であり、学問的な議論は兎も角、政治的には対処すべきことではない。それは、歴史的な出来事は掘り返さないという、人類の基礎的文化が存在するからである。それを無視すれば、世界は悲惨な混沌状態に戻る。

しかし、韓国以外の旧日本国民に関しては、何も議論も補償もされていないという問題が残る。特に重要なのは、現在の日本国民に対する責任が議論されていないことである。そして、その結果として、現在の日本国がある。つまり、日本国は戦後の瓦礫の整理をせず、その上の掘っ立て小屋状態である。如何に鉄筋コンクリート製であっても掘っ立て小屋の本質は変わらない。寧ろ、建て替えができにくいので、バラック製の掘っ立て小屋よりも始末が悪い。

例えば、現在の日本政府は、憲法は改訂されて新しくはなったが、それ以外は昔のままである。サンフランシスコ条約後も、東京裁判という延長戦のなかで殺された人たちを除き、戦前からの支配層が独立直後から国の中枢に居座っている。その結果、戦後の日本の総理大臣には、米国盲従派が就任している。彼らの戦争時の働きについては、全く不問である。その延長上に、その後継者が支配する現在の日本政府がある。

未だに、日本国の本質的部分における国家と国民の関係は、支配と被支配の関係である。その関係からの脱却をしなければ、日本に将来がないというのなら、石破氏の記事は正論であると思う。そう主張されるのなら石破氏は、「日韓GSOMIA、訪印など」というのではなく、「戦争責任と戦後の政治体制」のような題目で、本或いは記事を書くべきである。

補足:

1)鳩山氏は「徴用工に端を発した日韓の対立が最悪の展開となってきた」とした上で「その原点は日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある。原点に立ち返り、早く友愛精神で関係修復すべきだ」とツイッターに書いたようだ。この方の意見は無視すべきなのだが、報道機関は視聴率などを記にして取り上げている。その姿勢は、報道の責任の放棄である。

2)特攻隊は敗戦が確実となったと誰もが考えたとき、誰かが一発逆転の妙案があると言い出したのだろう。そのとき、冷静に議論があれば、それでも無理だということが直ぐに明らかになっただろう。日本には本来議論の文化が無い。更に日本特有の強力な「空気の支配」がその場を支配し、敵の姿すら見えなくなっていたのだろう。今、情況は全く異なるが、対象である韓国が見えなくなってきている。

3)海軍の中枢は米国と非常に近く、山本五十六などもスパイ的だったという説がある。その海軍の重慶爆撃は、日本を中国戦争の泥沼にはまり込ませるためのものだった。それは、蒋介石を追い出し、中国を共産主義支配に導くための戦略だったという。つまり、米国のF.ルーズベルト周辺の共産主義者、現在のグローバリストと同根の人達による、東アジア共産化の企みの一環だという説がある。真珠湾攻撃もその一環であるというのだから、その当たりの総括を主張する石破茂氏の主張は非常に重要なのだ。

4)薩長軍は、鳥羽伏見の戦いなど戊辰戦争の時に、偽造した皇室のシンボル(菊の御紋)の旗を掲げることで圧倒的な優位を得た。その延長上で天皇親政を詠い実行するが、天皇が成人した後徐々に本当の権力を手にするようになった。それが大日本帝国憲法(明治23年)に於いて、天皇が軍の統帥権をもった経緯だろう。その時に、将来それが軍の暴走に繋がることを危惧した人は居ただろう。それを変更する必要を感じたときには、憲法を改正できなくなっていた。つまり、現在の改憲の困難と同様の日本的メカニズムが働いていたのだろう。

5)初代朝鮮総督の伊藤博文は、朝鮮併合には反対だったようである。その理由は、長年中国の属国だった間に、反宗主国の伝統に苦しめられることを知っていたからだろう。それを暗殺した安重根が韓国の英雄となっていることは皮肉なことである。ただ、韓国側の見方はことなる。伊藤は、「韓国は自治を要す」とソウルで演説したというが、本当は併合と韓国自治の間で揺れていたのだろう。(ウィキペディアの韓国併合参照)

6)人類のこれまでの歴史は、適者生存というダーウイン的原理が支配してきた。つまり強者が弱者を支配するというのは自然原理である。その歴史的結果は、学問として議論できるが、これまでの国際政治の延長上では再評価の対象にはならない。歴史修正主義とは、歴史的結果を再評価し、現在の政治に反映させようとする姿勢を意味する。 勿論、歴史修正は国際秩序の改変を考える場合、独立国家として自由である。つまり、韓国が日韓基本条約を破棄する自由は存在する。その傾向が出てきたとき、日本がすべきことは、その批判は適当にして、韓国から予想される様々な外交的あるいは軍事的行動に備えるべきことである。

7)日韓併合が違法か合法かは、当時の国際社会が国際法などを用いて判断して、対処すべきことである。この違法性合法性の問題は、国内での同じ問題とは全くことなる。それは、国際法は権威と権力に裏付けされて居ないので、厳密な意味で法ではないからである。主だった国に承認され、その後一旦議論の対象とならなくなったのなら、それで歴史の中に固定されたと考えるべきことである。つまり、韓国併合は合法と考えて良い。ただ、国際法での合法性と、韓国の人たちの納得できない気持ちには一定の理解が必要だろう。

8)慰安婦問題については、多くの書物がある。しかし、日韓両方の側から見た記述は少ない。その点で推薦したいのは、韓国の朴裕河教授の本「帝国の慰安婦」である。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/07/blog-post_15.html
http://scholarsinenglish.blogspot.com/2014/10/summary-of-professor-park-yuhas-book.html
ただし、慰安婦となったのは苦痛に満ちたことだっただろう。特に、親族の裏切りであれ、強制的に売られた人の苦悩は、計り知れない。これも、戦争責任の問題と切り離されることではないだろう。

2019年8月25日日曜日

国家と国家の関係は、信頼感を失えば野生の関係に戻る:日韓関係

人類のこれまでの歴史は、適者生存というダーウイン的原理が支配してきた。つまり強者(強国)が弱者(弱国)を支配するのは、自然原理の発現である。十分時間的に離れた後世に、その国際的ルールや善悪の基準等で、歴史的結果について再評価するのは、国際政治の場では無意味である。

歴史修正主義とは、そのように歴史的結果を再評価し、現在の政治に反映させようとする姿勢を意味する。その動きは国際社会の秩序を破壊する可能性があり、体制の安定維持を重視する人や国から、非難されるのは当然である。

歴史の議論は、各個人のレベルでは自由に行える。それは学問的な歴史修正に至る可能性があるが、それも学問の自由の範囲内である。しかし、正当なものかそうでないかは別にして、その歴史修正の動きが世論形成にまで及ぶと、これまでの友好関係等を破棄するなどの、国家の行政(外交)に影響する可能性が出てくる。

それらの動きを始めるのは、他国からの非難などを覚悟の上なら国家が独立している限り自由である。つまり、韓国が日韓併合を不正義とみなし、それが前提となっている日韓基本条約も、破棄する自由は存在する。それに対して日本がすべきは、その批判に終始しないで、韓国から予想される様々な外交的あるいは軍事的行動に備えるべきことである。

徴用工問題で賠償を要求するのは、現在までの日韓の友好関係を背景にした場合、ありえないことである。しかし、韓国が日韓の友好関係を破棄する覚悟なら、当然あり得る話である。その場合は、その話が捏造であれ何であれ、力と力の対決でしか、互いの主張に折り合いはつけられないだろう。

ルトワックの「戦争にもチャンスを与えよ」や、古典のクラウゼビッツの戦争論にあるように、外交の延長としての戦争しかその解決は出来ないのである。(補足1)そこで、日本国民がしっかり考えるべきは、戦争に如何に勝つかということである。その時点で、「戦争は悪である」と考えるのは知的怠慢である。善悪は、本来国境を跨がないのだ。

補足:

1)領土紛争が、最終的な決着が戦争以外によってはなされ得ないケースとして代表的例だろう。例えば、中国は尖閣だけでなく、沖縄に対しても日本の領有権を否定している。これらは話し合いをいくらしても解決しないだろう。もし、核心的利益となれば、沖縄は中国にとられるだろう。そして、その次の段階は小笠原だろう。既に、その演習をサンゴの密猟という形で行っている。その場合、日本国民の間での戦争アレルギーの醸成は、熨斗をつけてそれら領土を献上する準備である。

2019年8月23日金曜日

無知なる大衆独裁の世界:プロパガンダで生きる国々の中で日本はどう生きるのか

1)世界の政治は歴史的経緯や、そこでの事実を基礎にして動くなどと考えてはならない。昔から、狡猾さに文化的差があっても、洋の東西を問わず、歴史など捏造の集積であった。つまり、事実や論理で国際関係を築こうとするのは、エネルギーの無駄使いである。

現在、世界は民主政治という政治形態が多い。それも考えてみれば、無知なる大衆の独裁に過ぎない。現在の日本政府の対韓国外交を見ると、正にそのような状況の国を相手に、法と論理で対処しようとしている様に見える。

韓国は反日法(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)を2005年に制定し、20世紀初頭の親日派と認定された人の子孫の財産を、事後法とか、法の不遡及の精神に反するとかいう批判を無視して、没収している国である。そんな国を相手に、論理とか国際法など持ち出す政治家や官僚の腐敗した神経には、怒りを通り越してただ悲しくなる。

その韓国政府が、戦時慰安婦は日本政府による強制連行だったとか、日本人も戦時の国家に協力した徴用工制度を、奴隷労働であり人権蹂躙であると騒ぐのは、別段不思議ではない。それは現状に不満がある人間が、高速道であおり運転をして、相手自動車を停止させ、窓から相手を殴る行為とほとんど変わらない。

論理など存在しない。後者の場合は、警察が犯人を逮捕した。多分、2−3年刑務所に入ることになるだろう。しかし、国際社会には、まともな裁判所も警察もない。国際司法裁判所があるなんて、言う人は何も知らないバカである。

あの高速道であおり運転した人物は、法廷では「最初に煽り運転したのは、被害者の方だ」という可能性がある。同乗車の女が、まるで野生動物を撮影するような姿勢で写真をとっていた態度には、そのような雰囲気を感じる。煽り運転を開始するときの犯人二人の会話を想像することはそれほど難しくない。

韓国の慰安婦も徴用工も似た様な心理の結果だろう。

2)ユダヤ資本家のジム・ロジャーズは、北朝鮮の独裁による朝鮮半島独立が、安定した朝鮮国を建国する上で正しい選択だと言ったと言う。「日本には少子化などで暗い未来しかなく、統一朝鮮には明るい未来がある」という、ジム・ロジャーズのプロパガンダも大いに金正恩を励ましているだろう。無論理、プロパガンダだけで生きる国家にも、強力な助人が何人もいることを忘れてはならない。しかも、日本が唯一頼りとする大国の中に。

ユダヤ資本が牛耳っているというニューヨークタイムズは、今でも慰安婦強制連行説というプロパガンダを世界に流している。それは大衆に嘘を広める手段となっている。それは日本のABC、MBS、NHK、TBSなどのテレビ報道と同じである。日本の放送局もその支配層には、反日思想で固まった人たちが多いと言われて久しい。(半島系の人たちの他、日本生まれに日本人にも頑固な反日がいる。それについては二日前の記事でも読んでもらいたい) https://www.sankei.com/world/news/190208/wor1902080032-n1.html

世界は民主政治という大衆独裁制度を取っている。その操縦法は、金を儲け、嘘をばら撒き、大衆を洗脳することである。その世界で、事実とか論理とか、国際法とか言うアナクロが、日本の政界にこびりついている。明治の時代の支配層の子孫が、大戦に負け300万人の死者を出しても、いまだに政権中枢を支配できる国である。アナクロとモダーンの区別などできる訳がない。

タルムードには嘘を吐いても良いと書いてある箇所がある。良い結果になるのなら、嘘は吐いても良いのである。その嘘として、慰安婦強制連行説があり、徴用工の奴隷労働説がある。それに異を唱える日本政府は、かれらにとっては歴史修正主義者なのだ。

日本は、彼ら朝鮮半島と米国ユダヤ資本らの企みの前に、潰されるゴキブリなのか? 政治家には、もっと真面目に考えろと言いたい。だいたい、中国の報道官と仲良く自撮り写真をとるのは悪くない。しかし、本当に日参すべきは米国の政権中枢である。そこはどの様に考えているのか、ポンペイオは核をもった統一朝鮮を残して、東アジアを去るつもりなのか、その際、日本に核兵器を残すことを考えているのか?

現在、米国も大変な時期である。中国の覇権がアジア、アフリカから中東に至れば、国債決済通貨発行の権利を中国にとられる。米国国債を国防権限法などを用いて、紙切れにすることまではできても、ジリ貧の国になるだろう。それを防ぐ方法として、米露日の連携がトランプの頭の中によぎっているだろう。それを妨害する勢力は、国境などどうでも良いと考えている、いまだ大家族と知人のネットワークで生きている人たちだろう。そのように思う。

朝鮮半島統一は必ず核武装を伴うだろう。下に引用の動画では、韓国のネットでは既に、「うるさい日本には北朝鮮に核を打ち込ませ」などの言葉もみられるという。無知なる大衆が独裁の主人公なのだから、それが韓国の本心だろう。さし当り、トランプに日本の生存権確保とその手段をお願いする為に、日参するしか仕方ないだろう。(補足1)

その為になる動画は「米韓同盟消滅後、日本はどうなる?」という題目の元日経新聞の鈴置高史さんの動画である。https://www.youtube.com/watch?v=suHkH_eYn_U さし当り、この動画や、伊藤貫さんと西部邁(或いは水島総)さんとの昨年末の討論、片岡鉄哉氏の本などを読んで、今後の日本を考えるべきである。 https://www.youtube.com/watch?v=0bwlpoETjxQ&t=5069s

補足:

1)以前にも書いたが、多分、一発北朝鮮の核兵器がどこかで爆発するくらいでないと、非常にダイナミックレンジの狭い日本人の思考は変わらないだろう。そしてその方が、中国の核で日本列島に住む生物全てをsweepされるより、ましかもしれない。(中国解放軍少将の朱成虎の発言を読めば、少しは日本人の頭にも変化が生じるかもしれない。:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E 朱成虎の先制核攻撃論に対して、中国は昇進で答えている。朱が中国の主要な敵だと言ったのは、日本とインドである。)

2019年8月22日木曜日

動物愛護と人の安全とを同じ秤の上に載せる愚かさ

1)北海道のヒグマ問題:

以下は、ヤフーニュースで読んだ北海道新聞の記事の要約である。

札幌市(南区)の住宅街に出没するヒグマが射殺されてから一週間になる。その措置に対して20日までに530件の意見がメイルやハガキで寄せられた。その中の半分以上は、その駆除に反対や抗議するものであった。北海道外からの意見は反対や抗議が大半で、道内は賛成が多いと言う。

ヒグマが住宅街に居座るようになった要因の一つに、家庭菜園の農作物が指摘されている。専門家は有効な対策として電気柵を推奨するが、昨年からクマの出没が増えていたにもかかわらず、備える世帯はわずかだった。

市は「追い払いは、職員だけではできない」と警察と連携し、車で森に追い返していたが、クマは餌を求めて何度も住宅街に戻ってきた。北大大学院獣医学研究院の坪田敏男教授(野生動物学)は「専門的な判断ができ、技術もある人を市が常時抱えておく必要がある」と話す。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190821-00010000-doshin-hok

50年前なら簡単に処理していた問題にこれほど悩む日本人の知性劣化に驚く。本当に情けない気持ちになるニュースである。

問題の場所の一つが、札幌市南区の東北角部分の住宅密集地に近い場所である。例えば8月19日に出没した場所(南区白川1814番地25付近)は、川を挟んでいるとはいえ、住宅密集地から数百メートルの地点である。 http://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/index.html

電気柵を設けて果樹園を保護するとしても、今度は人間が電柵に引っかかれば重大な事故になりかねない。当然射殺して、クマが近づかないようにするのが最善の方法である。道外の動物愛護とか馬鹿な事を言う連中の意見など無視して、市民の安全確保するのが市役所の役割であり、警察に前面からの支援を依頼する必要など全くない。猟友会と市役所の連携で十分な筈だ。

2)山口県周南市の野良犬問題:

山口県周南市内で大量の野犬が、公園や通学路にいるという報告がネット上にあがった。https://www.j-cast.com/2019/07/02361538.html?p=all

動物愛護家の山路徹氏は次の様な考えをツイッターで訴えた。

【拡散希望】山口周南野犬問題
明日はゴゴスマ(平日午後のテレビ番組)。山口周南の野犬問題も扱う予定ですが、私としては最大の被害者は犬だと思っています。皆さんのご意見も反映させて頂きたいと思うのでコメント投稿をお願いします! https://twitter.com/yamajitoru/status/1146736303897075719

このツイッターへの書き込みも、野犬の保護を第一に考える意見が多い。餌やりが横行していて、罠で捉えられる犬の数は少ない様だ。この問題、長期に飼えなくなった犬をここに捨てるのが問題で、更に、それに餌をやる人が現れ問題を大きくしている。

山口県のケースでは、一斉捕獲を行い、必要とあれば麻酔銃などを用いてでも完全捕獲すべきである。もし狂犬病に感染している犬に噛まれ、発病すれば100%死に至ることを、もっと真剣に考えるべきである。日本では少ないが、近年外国から輸入される犬もあり、いつ復活するかわからない。

3)このような問題が今後起こらない様にするには、犬や猫などのペットの飼育を厳格な登録制にし、ペット税を徴収することである。もし、管理を怠って野良犬にした場合は、相応の罰金を元飼い主から取る。また、公共の場所でのペットへの餌やりを禁止し、違反者は罰金の対象にする。それらのお金は、ペット管理の資金として行政が用いる。

動物愛護というが、動物の前に人間を愛護すべきである。その当然の論理が一般市民に通じないこの国は、異常に思える。動物の命も大切にすることは、もちろん大事な人の道徳である。何故なら、それは人の命を大事にすることと、感覚的に平行しているからである。動物の命を大事に思わない人は、人の命も大事に思わないだろう。

しかし、同時に人の命を動物の命に優先させるのは、議論以前のことである。上記ゴゴスマはたまたま私も視聴した。自分が犬をいくら好きであっても、野良犬の自由を、社会の他のメンバーの安全や自由と同じ基準で考えるような言動は、慎むべきである。更に驚いたのは、野犬を「この子らは」と呼び、人間の方を非難する意見を公共の電波に乗せるY氏の態度である。

彼は知性ある人には、私には思えない。更に、その意見に対して、「幾ら何でも、野犬を「あの子ら」と呼び、迅速な対応を躊躇うべきだと言うような意見は、まともじゃないですよ」くらい言えない他のコメンテーターや司会者のぶざまな様子には、うんざりした。

市街地を我がもの顔で歩くヒグマや、公園を占拠する野犬の対策すら、まともにできない市役所は、国家の安全保障が独力で十分にできない日本政府の模型のように見える。戦後74年、ひ弱な国になったものである。

2019年8月21日水曜日

企業や国家が衰退する理由:機能組織を採用できない日本社会

今日のMAG2NEWSの記事として、中島聡と言う米国で起業されている方の記事「日本企業が潰れていく理由が自分自身にあると気づかない日本人」が掲載された。 https://www.mag2.com/p/news/410507?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0821

内容は、要するに現場から上層まで、それぞれの仕事に関する情報が、既存の殻を超えて伝達できないことに主な原因があるというもの。情報の伝達が上司と部下の間で、双方向に等しくされない日本の企業文化に原因がある。その結果、会社全体として、環境の変化に応じて学習し進化するメカニズムを持てないのである。

これを別の表現で言って見る。「愛国心:パトリオティズムとナショナリズム」で書いたように、社会の組織には機能組織と共同体組織がある。これは高校レベルの授業で習うことだろう。

会社は、外部社会に対して品物やサービスを提供するなどして、利益をあげる機能組織である。そこでは、円滑な人間関係は重要だが、血縁や地縁などの共同体的意識は邪魔になる。

それにも関わらず、日本の会社は共同体的組織を採用しているのが、衰退の根本的原因である。そして、終身雇用制を主な採用形態とし、それは労働力の流動制を著しく妨げている。上司と部下の関係は、(ヤクザの上下関係と似て)擬似的な血縁関係のように存在し、情報の双方向伝達という組織の進化には欠かせない機能を、最初から放棄することに繋がっている。

実は、日本全体が、組織とは共同体的組織であるという考えで縛られている。その結果、政界、官僚機構、会社などほとんど全ての組織は、共同体組織的人間関係で作られている。共同体組織の特徴は、構成員になることで全ては決まることである。即ち、日本の部分社会のほとんど全てが入り口社会である。

政界も同じであり、何期とか何代目とかいう言葉で、相対的地位が語られている。政党や派閥の組織は、当に、ヤクザの人間関係と同様である。それでどうして、適材適所の人事ができるだろうか? 能力本位の人事ができるだろうか?

そもそも、能力のある人が政治家の道を志すこと、政界での地位を守ることなども、日本では簡単ではない。政界入りの入り口に恵まれる人のみが、政界での椅子が与えられる。票田を相続することが、知識、能力、思想などよりも大事である。日本の衰退は当然である。

再録)近代史を教えない理由(2)(4年5ヶ月前の(1)再録と補足)

以下は4年以上も前に投稿したブログ記事の中で比較的閲覧があったものの再録である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/03/blog-post_31.html 再録の動機は、検索にかかりにくくなっていることであるが、この記事では考え方に多少変化があったのでそれを追加する意味もある。そこで、現時点で補足したいことをまず最初に書く。

    4年5ヶ月後(2019/8/21)の補足:

再録記事の中に、「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対して責任はない」という岸信介の言葉が引用されている。しかし、岸信介は総理大臣になった時にも、その責任の詳細を国民に明らかにしていない。止むを得ず戦争になったというが、どの時点から考えて言っているのか何も言っていない。その後も政府はそれを明らかにしていない。それは「責任がある」という言葉が、国際的言語感覚では、嘘であったということになる。

  「米国が勝手に怒って、日本制裁を始めた。その制裁がキツくて、止むを得ず戦争になった」というのだろうか? 米国が怒ったのは、日本が約束を破ったからではないのか? 桂首相のときの約束である。それすら言わないで、責任を認めたことにはならないだろう。

  日本人は簡単に「責任がある」とか、「謝罪する」とか言うが、それは無補償を前提にする場合がほとんどである。「謝ったのだから、許してやれよ」と言う人が多い。それは日本人がよく使う謝りの言葉「申し訳ない」にも現れている。「申し訳ない」とは、「弁解の余地がない」であり、「弁解しない」から「何も説明しない」となる。つまり、岸信介元総理も、「国民に謝ったら、国民は許すのが筋である」と考え、この発言をしたのだろう。

  しかし、それは日本人全体が持つ独特の病理であり、日本文化における「甘えの構造」である。もちろん、人間は社会を作って生きているので、許容の範囲のことなら「すみません」で済ますこともあるだろう。(英語でも主語も動詞も省いたsorryの一言で済ますこともある)。しかし、あの戦争では日本人だけでも310万人死んだのだ。

「我々には責任がある」だけで、国民は許すわけには行かない筈だ。(追補1)その甘えの構造の裏にあるのが、「国民は皆天皇の臣民であり、家族である」という理解なのだろう。

  あえて言う。もしそのような原始部族社会の延長だとしたら、この国は当然滅びるだろう。もし、天皇制を廃止して目がさめるのなら、廃止すべきだろう。天皇は、伊勢神道のトップとして存在すれば良い。天皇を崇拝する人たちは、思想信仰の自由の範囲でそれを行えば良い。

追補1)東京裁判で戦犯とされた人たち、戦争指導した人たちを含めて全てを、国民は許すという判断をしたことになっている。それを取り上げて、当然戦争指導者(A級戦犯を言っているのではない‼️)も含めて合祀されている靖国神社に参拝すべきだと右翼の方々は言う。日本の一般民は無知の涙を流すしかない、能無しなのだろうか。

以下再録:

1)明治維新により国民の間の階級制は廃止されて、近代的な国民国家になった(注1)。戦前までの政府は立憲君主制であり、それは、大日本帝国憲法第1条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれていることから明らかである。普通選挙が大正14年に導入されたことから、民主国家であるという誤解をする人も多い(注2)。

そして、先の対戦中軍部が旧憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を根拠に、独裁体制を敷いた。そのことが、特別に悲惨な結果を招いた原因である。

明治維新から先の敗戦までの歴史を学ぶと、国民の中に国家という枠組みに対する反感を生じる可能性がある。国家の為という言葉を根拠にして、軍部独裁政府は多くの犠牲を国民に強いた。若い優秀な後継者を特攻隊などで亡くした家族、空襲で命を落した人々の家族、インドネシアやフィリピンのジャングルで補給もないままに放置されて戦死した兵士の家族、全てが国家とは何だったのかと考えるだろう。

そして注目したいのは、あれほどの悲惨な戦争の後にも拘らず、大戦前の国家の指導者層と大戦後の国家の指導者層に変化がなかったことである。国家の枠組みを維持するため(注3)かもしれないが、過去のあやまちは国民になるべく知らせたくなかったことが、近代史を国民から遠ざけた理由だろう。

2)西欧列強が日本国の周辺に勢力を拡大して来た時代故、国民の生命と財産を守る為に国民国家の枠組が必要であったのは確かだろう。しかし、兵士を無料で調達する手段として機能するその国家体制の下、指導者が不十分な能力しか持っていなかったため(注4)、多くの命を結果として無駄に消費したことも事実であった。

大惨事の総括は、戦後の早い時期に終えるべきであったが、時の為政者は1952年のサンフランシスコ平和条約後、戦犯全てを同等に赦免する決議を国会にて行なった。その事実を踏まえ、1978年には戦争を指導した者も、命を国家に捧げた戦死者が祀られている靖国神社に合祀され(注5)、日本は過去の過ちをまるで天災の如く“忘れること”にした様に見える。

岸信介元総理はA級戦犯として捕らえられ東京裁判に望むとき、「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対して責任はない」、そして、「侵略戦争というものもいるだろうが、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」(http://ja.wikipedia.org/wiki/岸信介)と言ったという。

しかしその言葉を、戦争の全プロセスの分析総括により、実証するという責任を戦後の内閣は果たしていない。その総括には国民全てが参加すべきであり、その為には先ず学校で近代史を必須科目として教育すべきだったと思う。その結果を踏まえて、隣国との戦争中の関係を再考するのは決して遠回りなことではないだろう。
 (歴史や政治は専門ではありませんので、コメントなどお願いします。)

注釈:
1)国民国家とは、国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって 成り立つ国家。
2)戦前の政治体制が民主主義国家であると考える人も多く居る。学校でしっかりと近代史を教育していないことが原因の一つであると思う。例えば:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1139529816
3)冷戦時代、インターナショナルという歌を多くの大学で聞くことになった時代、その思想に馴染まない国民国家の枠組みは破壊すべきと考えた若い人が多かった。
4)人間社会(特に日本国)では、実務能力よりも対人関係を人事で重視する傾向が強い。そのため、無能な者が上の地位につき、その組織を崩壊させることが多い。今も昔もそのことに変わりはない。”一流の人は一流の人を雇う。二流の人は三流の人を雇う。”という英語の言喭がある。
5)このことは戦争犯罪の存在を否定し、東京裁判で処刑された人も神として靖国に祀る根拠となった。この件で桜井よしこさんを批判したブログ参照:
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html

2019年8月20日火曜日

米国の対中国覇権戦争と金正恩帝国に対する期待

1)対中国貿易戦争:

米国の対中国の貿易戦争は、覇権戦争であるとの理解が定説である。その大きな鍵を握るのが、香港の騒動だろう。香港の若者は恐らく米国など自由主義経済圏の支援を受けているだろう。長引けば、彼らとて食っていけないのでつづかない。中国の習近平政権にとっても、香港問題が正念場となりつつあると思う。

政敵が多い習近平だが、香港問題は他のお偉方や長老にとっても大問題であり、この件での強硬姿勢は支持されるだろう。習近平は、考え方によっては、中国共産党の長老や現在の非主流派などほぼ全員と、米国の間に挟まれていると見ることもできるのかもしれない。

中国と米国の経済戦争の出発点には、米国などから見て、中国の経済における不正な構造と運営にある。それらとしては、著作権や工業所有権の無視などもあるが、恐らく最大のものは中国の戸籍制度のような内部の身分制度だろう。極論すれば、特許もノウハウもタダで手に入れて、国内に低賃金労働者を大量に抱えて安く品物を製造し、それを世界に売りまくっている。

その上、儲けた金で世界中に軍事基地を設置して軍事力を強化し、世界の政治と経済を支配しようとしている。さし当り、一帯一路の方向でそれを実践しつつある。AIIBは中国元を世界の基軸通貨として散蒔く為の機関である。中国の田舎戸籍の若者は、現在はネズミ族(補足1)と呼ばれる奴隷的状態であっても、時間がたてば解決すると聞かされて居るだろう。

世界支配の中で、低賃金労働者は山ほど出来る筈だ。一帯一路とは、その経路で味方となって参加する者は、低賃金労働者として中国支配圏に入門する制度だろう。そこから平民レベルに這い上がるには、中国支配の方向を地方を拡大し、新たな低賃金労働者を作れば良い。ネズミ族は、2015年頃には大きな報道のテーマだったが、2019年の現在、それについての報道はあまり聞かなくなった。

因みに、日本はこの経済戦争の本質に気づいて居るのか明確ではない。トヨタは大規模投資を中国で計画している。安倍政権は、親中政策を表に出してきた。米国嫌いのようだ。祖父の岸信介元総理から米国の話を聞いた筈だが、多分岸元総理は孫の知的レベルに合わせて話さなかったのだろう。トヨタ社長同様、現状ではわけがわからない。(補足2)

勿論、次に述べる北朝鮮に対する米国の企みが本当なら、中国と日本の利益は一致する。それを考えているのかもしれない。

2)米国支配層は理想論を武器に世界を牛耳ってきた

中国を巨大に育てたのは、米国資本家とその配下の国々の経済支援だろう。日本のODAなども大きな効果があった筈。山崎豊子の「大地の子」(補足3)は、その初期段階の対中国技術支援が背景だった。

世界の経済を支配しようと考えるほどに巨大化した中国だが、その稼いだ富は、米国などに移住した共産党幹部の親族に送られて居る。(補足4)また、中国を大きな市場にして、個人的に金儲けした人たちは、米国などの恐らく国籍を意識しない人たちだろう。

つまり、世界に二つの国籍を意識しない人たちがいる。一つは中国系華僑である。もう一つは世界の金融を支配する人たちである。両者はともにグローバリストである。後者が、世界の平和と繁栄を目指すのは、単に理想論を翳して行う表向きの姿勢であり、本質は単なる利己主義である。

彼らは以下のように考えている。中国が巨大化して世界支配するようになって、自由に振る舞える人が少なくなったとしても、中国人の支配層と仲良くなれば支障はない。ネットなどで勉強をして政治に詳しくなった素人たちは、厄介であり殺す方が楽だろう。(補足5)

彼らは、本音と建前である理想論との乖離(補足6)が最も大きい人たちである。その理想論とは、自由と民主主義政治を世界に広める。貧しい者たち、マイノリティーの自由と権利の保障を前面に押し出して、前近代的な独裁国家を追い詰める。その思想は、世界に貧しい人たちがいる限り、錆びることはない。実際に、中米の暴力と貧困に苦しむ人たちが米国に向かうのを助けようとした。

歴史の発展段階によっては、独裁がふさわしい政体である国も存在するなどとは考えない。自分たちの入り込む余地がなくなるからである。そのように考えて、リビア、エジプト、イランなどアラブ圏の独裁国を壊してきた。個人の利益を最優先する本心を保ちながら、それをこの種の建前の理想論で塗り固めた鎧を着て、国際社会を支配する。カラー革命などでも、強引に自分たちの民主主義を押し付けた。相当の知性と力がなければ、立ち向かったもその鎧に跳ね除けられるのがオチである。

トランプはこれまでの大統領と違ってどういうわけか民族主義者(パトリオット)である。そして、米国の覇権と米国を建国し支配した最初の白人たち(多くはワスプ; White Anglo-Saxon Protestant)の利益を優先する大統領である。デトロイトなど錆びた地方で困窮するワスプらを緊急課題として優先支援するだろうが、民主党支持者の非白人の国民も、トランプは次の段階で大事にするだろう。Americans First, The rest the lastなのだろうから。

3)北朝鮮に朝鮮半島を統一させ、中国モデルで運営させる夢を持つ人たち:

トランプはワスプ第一主義だとか、世界経済を破壊するとかいう理由で反感を持っている米国人は多い。しかし、中国支配層と仲良くなれる昔の大統領一家などは別にして、それ以外の大多数はトランプの路線を支持した方が最終的に得だろう。しかし、少数の大金持ちと彼らとタイアップした知識層に騙されているからなのか、そうは思っていない人も多いようだ。(補足7)

つまり、中国のモデルでもう一儲けできる国を作ろうと考えている人たちがいる。その中国モデル適用国とは、上記共産党独裁の統一朝鮮である。その意思が通じたのか、最近の将軍様は威勢が良い。文在寅なんか、短距離ミサイルでぶっ飛ばせば良いとかんがえているようだ。https://kaikai.ch/board/79457/

北朝鮮には豊富な地下資源と安い優秀な労働力がたくさんある。毛沢東一派よりも扱いやすいキム一家が牛耳っているので、ターゲットとして申し分ないのだろう。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56870 https://www.nknews.org/2019/03/why-jim-rogers-wants-to-invest-in-north-korea-nknews-podcast-ep-62/

https://kaikai.ch/board/79457/ 韓国が北朝鮮を統一したのでは、サムソン、LG、現代などの現在の財閥が大儲けするだけである。当然、北朝鮮の首領様に統一してもらわないといけないのだ。そうすれば、日韓基本条約は実質的に無意味になる。日本は、再び日朝基本条約を締結しなくてはならなくなる。(補足8)

そして、日本に北朝鮮のインフラ整備などに二兆円レベルの金を出させることが可能となる。日本政府は、国民に拉致被害者の奪回という理由を与えれば良いだろう。金正恩はその日のために大事に温存している筈である。更に、慰安婦問題や徴用工問題も、大きく宣伝してあるので、そのあとの打出の小槌に使えるだろう。

この北朝鮮で一儲けしようという考えを持つ者は、ジム・ロジャーズ一人ではない筈である。なぜなら、極簡単な中国のコピーを考えるだけのモデルだからだ。優秀な低賃金労働者がたくさんいるし、地下資源も豊富にある。北朝鮮に投資して、利益をあげようと考えるのは、そんなに独創的ではない。

中国で大儲けができた人たちが考えない筈はない。そうなれば、日本潰しも一緒に可能であり、鬱陶しい国が一つ消えるだろう。そのために必要なら、当然核兵器は隠しもっても良いだろう。隠す? それは簡単だ。米国が探さなければ、平壌に置いても隠せるのだ。

そんな声が聞こえてきそうな気がする。彼らは国家を背負う訳ではないので、結構口が軽いのだ。

(21日6:00編集あり。以上は国際政治には素人のメモです。米国支配層の考え、ジム・ロジャーズら投資家の考え、トランプ大統領の考えを勝手に推測しています。従って、適当に読み飛ばしてください)

補足:

1)ネズミ族については例えば:https://www.cnn.co.jp/world/35061229.html

2)北野幸伯さんの意見を引用します。メルマガにあったのですが、さし当りみつからないので、以下を孫引きですが引用します。https://kaikai.ch/board/79457/

3)https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/01/blog-post_5.html

4)彼らが米国で手にしたのは米ドルの筈である。中国企業の株などが換金され、最終的に米ドルの形で米国在住中国人や永住資格のある中国人が持つ。その送金にはビットコインなどの仮想通貨が使われて居るのだろう。上記のような形での米ドル増加は、元安米ドル高になりドル不足からFRBは多額のドルを発行することになる。もし、その資金逃避がなくなれば、ドル安になる。トランプの利下げ要求は、ドル安容認策であるが、それは世界の通貨安競争に拍車をかけるだろう。

2019年の2月8日に37万円くらいだったビットコインは二度目もピークである140万円を6月の27日につけた。2017年12月に157万円をつけたのが一度目のピークであった。その時から14ヶ月で4分の1になり、再度140万円になったのだ。これが最後なのかどうかわからない。再度資金逃避が大規模におこれば、ビットコインは値上がりするだろう。

5)政治に詳しくなった素人は、殺す方が早いとブレジンスキー(2017年5月死去)は言った。引用のサイトは、二人の戦略家について書いています。日本にとっては最悪な人たちですが、トランプ政権では力を失っていると思う。しかし、同じ考えの人が民主党の背後に大勢いるだろう。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/12/blog-post.html

6)この本音と建前の乖離を知る事は、人間社会を考える上で、つまり政治を考える上で必須である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/dna.html

7)この地球上に生き残るのは誰か? そんなレベルでの損得である。一部の人たちは世界が大混乱の時代を迎えるのが、預言書の通りであると考えている。そして彼らは、個人の利益を最優先しながら、それを福祉に役立てるという自分でも気づかない理想論の建前の鎧を着ている。ニーチェが考えたように、宗教書に書かれている世界感は間違っている。それは何時か人間社会を破壊するだろう。https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=5815810827144513211#editor/target=post;postID=348163859666550571;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=12;src=link

8)日韓基本条約には、韓国は朝鮮半島唯一の日本が承認する国家であると書かれている。その前提で、韓国への経済協力金(国家予算の2倍近く)が支払われ、その後の円借款もなされた。その結果、漢江の奇跡と言われる経済発展に結びついた。
韓国が潰れれば、統一朝鮮とはゼロからの講和条約交渉が始まる。それは多額の経済協力金と円借款を要するだろう。それで潤うのは、北朝鮮で利益を得る日本嫌いの米国資本家たちである。その米国は、中国共産党のWatch towerとして、金正恩の北朝鮮を使うつもりだろう。

中国が民主化すれば、ウイグル、内モンゴル、チベットは独立し、もっと小柄の資本主義中国ができるだろう。ひょっとして、米国にとって最も仲の良い満州国が、独立国としてできるかもしれない。米国の大資本家たちはハリマンの考えを継いで、大友好国を作り上げる可能性もある。敵意としてのこるのは最後の対戦国で、米国が原爆投下という大罪を犯してしまった国、日本だけである。それが統一朝鮮や中国の影で、ひっそりとした弱小国になれば申し分ない。 何れにしても、日本には将来はない。それとも、最後にロシアの手を取ろうとするだろうが、所詮第二次大戦の再演になるだけだろう。どうする? 日本は、まともな外交のできる能力本位の国になるしかない。そのためには、一票の格差全廃と国政選挙の道州制選挙区の導入だろう。外国人の流入拡大もその一つのセラピーかもしれない。右翼たちの安易な復古主義は、日本滅亡に協力するだけだろう。

2019年8月17日土曜日

日本に愛国心は育つのか;パトリオティズムとナショナリズムに付いての考察

1)言葉の定義:

愛国心を和英辞書で調べるとpatriotismが出てくる。https://ejje.weblio.jp/ 似た単語にnationalismもある。前者は、自分の民族或いはそれが形成する国家を支援する心情である。後者は、自分の帰属する国家の独立や発展を主張・強調する政治的な思想である。なお、それらで特徴付けられる人は、それぞれpatriot及びnationalistと呼ばれる。

両者は、上記解説でも推測できるのだが、混同される場合が多い。そこで、これらを分別定義し、それを手掛かりにして、愛国心について考えて見たい。何れにしても今対象にしているのは、直接統治者の感覚ではなく、(選挙以外の時には)被統治者である者の感覚である。

Patriotismとその名詞形のpatriot(愛国主義者)は、父性paternityと語源を共にする。つまり、patriotism は血縁や地縁の共同体への愛着を意味する。従って、その発揮には、歴史的考察や合理的思考は必須要件ではないだろう。一方、Nationalismはもっと大きな国家という利益社会にたいする帰属意識と定義する。その有効な発揮には相当の知的作業も要求されるだろう。(補足1)

Nationには民族という意味も辞書にはあるが、Nationality=国籍、Nation=国民と考えることにする。そう考えると、米国のような多民族国家でもNationalismを愛国心として定義することが可能である。以上から、国家組織との関連での愛国心をNationalismとし、Patriotism を民族への愛着と支援の心情とそれぞれ定義する。

その様に考えると、熱烈なパトリオティズムは自然に存在し得るが、熱烈なナショナリストと言う言葉には多少違和感を感じる。自然に存在するのは、せいぜい熱心なナショナリストだろう。勿論、ナショナリズムはパトリオティズムの延長上にあると考えるのが妥当だろう。

西欧の国々は、市民革命を経て、国民主権の国家を建設した。民族と国家の線引きが概ね一致する場合、これらの国民国家ではナショナリズムとパトリオティズムの概念的区別は上記のようにできても、その境界は明確ではないだろう。一方、国民主権が完成していない国、例えば専制国家などでは、パトリオティズムが存在してもナショナリズムは育たないだろう。(補足2)

今回の定義では、ナショナリズムには国民主権の国民国家(Nation State)の形成が、その健全な発生の条件となるだろう。以上のような定義と言語的感覚でナショナリズムとパトリオティズムという用語を用いる。(補足3)

2)日本のナショナリズムについて:

上記定義により、「国家の主人公は自分たち国民(或いは民族)である」という意識によりナショナリズム(愛国心)が生じる。そして、現在の国家組織が自分たち国民の意思と責任により形成されていると信じる場合、その国家のために自分たちが何らかの具体的貢献をしたいという気持ちは自然に発生するだろう。それは、正常に存在するナショナリズムの姿だろう。特に愛国心醸成を目的とした教育など必要ない筈である。

このような意味で我が国に、ナショナリズムが存在するだろうか? 私は、NOだと思う。何故なら、日本国民のかなりの部分は、自分たちが日本国の主人公だとは実感していないからである。日本には、未だ支配層と被支配層の分断が残っている。その分断を感じない人も多いだろうが、日本の政治は世襲の政治屋、つまり政治貴族たちが担当していることがその証拠である。

日本の政治貴族たちは、一票の格差と地方の利益に直結した小選挙区制という国政選挙にふさわしくない選挙制度で、その身分を守っているのである。どのような専門職でも、世襲を続ければその質は低下する。実際、日本の政治家には基本的な地理の知識や漢字の知識のない知的レベルの非常に低い者が多く含まれる。

この日本の政治形態は、中国の政治形態に幾分似ている。つまり、産まれながらの身分で分断された国家、政治貴族(中国では共産党員の上層部)と一般民とに分断された国家である。(補足3)ここで政治貴族とは、明治の政変で権力を得た勢力と、その人脈が開発した支配層である。(補足4)

政治家になるには主に二つの道がある。一つは、政治家秘書になり日本のドブ板選挙などの政治活動を実地に学ぶのである。(補足5)政治家の家系にある人は、この経路で政治家になる。もう一つは、芸能人やスポーツ選手などマスコミで有名になれる職からの転身である。彼らは政治的新貴族と呼べるだろう。

それらに対する一般民の反感は、たまに日本中に新しい政治を望む声として膨らむ。そして生まれたのが、日本新党ブームでの連立政権や民主党政権などである。しかし、それらは見事に潰される。その方法は簡単で、官僚のサボタージュであったと思う。政治家は官僚の助けがなくては、国家の運営ができないのである。

国家の政治には利権がつきものである。官僚には、政府系団体への天下りなどの利権を与えると言う暗黙の了解とその継続的信頼感が、現在の与党の政治を支えているのである。もし野党が政権をとった場合、算定済みの利権が失われる可能性があり、それを恐れた官僚たちはサボタージュを暗黙の了解の一つとして行うのだろう。

森友学園や加計学園の時に話題になった官僚の忖度は、その暗黙の了解事項を官僚側が実践したに過ぎないのである。

3)パトリオティズムは政治に混乱を持ち込む:

現在、我々は西欧政治文化の中に生きている。ナショナリズムやパトリオティズムも、その中の言語表現である。そして、西欧先進国のほとんどは、市民革命を経て国民国家を建設した国々であり、そのプロセスを経て世界の主要国つまり欧米の政治は動いている。

その文化を吸収しようと努力したアジアの国として、先ず日本がある。また、その日本からの影響をうけで、同様の政治システムをとった国として、韓国や台湾がある。過去の戦争の結果として、独立を果たした多くの国々も、現在では同様の政治システムをとっている。インド、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどの西欧の植民地であった国々などである。

それら全ての国で、同じく国民主権の国民国家を看板にしても、その政治制度は様々に変形されているだろう。日本については、前のセクションで書いた通りである。また韓国では、ナショナリズムというよりも、反日と対を形成するパトリオティズム的な愛国主義が非常に強いようである。日韓問題の異様さは、どちらにも国民主権国家の正常な成立が無いことが背景にあるように思う。(補足6)

  多民族国家の場合、その民族毎に複数のパトリオティズムが存在し、何らかの機会にそれらが大きくなる可能性がある。そのパトリオティズムが、ナショナリズムよりも明確に前に出れば、国家の政治に混乱を生じるだろう。米国にはそのような危険性があると思う。米国は、多民族国家の弱点を克服すべく、人権、自由、法治、などの理想主義的原則を強く表に押し出すことでナショナリズムの醸成を行ってきた。(補足7)

  しかし、トランプ政権になって、パトリオティズムが目立ってきているように思う。世界第一位の経済力と軍事力を持つ限りにおいて、パトリオティズムによる混乱は避けられるだろう。しかし、そうでなくなった時、米国は混乱の時期を迎える可能性があるような気がする。それが、中国叩きを本格的に始めた大きな理由なのだろう。つまり、世界覇権のない米国は、混乱と分解の危機を迎える可能性があると思う。

  今回、素人であるにも関わらず、自分の理解のためのメモとして、上記文章を書いた。その前提で参考にしていただければ幸いです。玄人筋の方のコメントをいただければなお幸いです。

  (8月18日午後、小編集)

補足:

1)機能体組織と共同体組織という用語は、以下の翻訳語である。ゲゼルシャフト(Gesellschaft、ドイツ語)は、機能体組織、或いは、利益社会の意味。その対概念がゲマインシャフト(Gemeinschaft)であり、共同体組織を意味する。現在のような大きな国家は、共同体的性質はあるが、本質として利益社会と見るべきである。

2)中国人民の90%以上は一般民であり、共産党員ではない。彼らが現在の国家体制に愛着を感じる筈はない。しかし、中国の大地と地域や共同体には愛着を感じる筈である。それらは従って、パトリオティズムに分類されるだろう。https://www3.nhk.or.jp/news/special/cpc2017/article08.html

3)Nation Stateは国民国家であり、国民の間に区分けがなく全員を束ねる国家の意味である。この内、上記定義のナショナリズムが正常に国民の間に生じる体制は、国民主権国家である。なお、日本を君主制国家のように見る人も多いが、天皇にはオリジナルな政治権限がないので、議会制民主制の国民主権国家である。英国の場合も、日本に近いのではないだろうか。筆者な素人なので、この辺りの詳細はわからない。ただ今回の話には、これら詳細は話の筋にそれほど重要な影響を及ぼさないと思う。

4)第二次大戦で惨敗したにも関わらず、日本は明治の体制の一部変更で戦後を迎えた。その背景には、米国のエゴイズムと結託した日本の政治貴族とその組織に組み込まれた官僚組織があった。

5)国会議員に地方と中央政府との連絡役的性格を持たせることで、与党政治家は継続的に議席を確保している。そして、一票の格差を大きくすることで、大都会に流入した知識層の国会への進出を防止している。詳細は:中川一郎の死の謎(2)とドブ板選挙:日本の政治文化 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

6)なお、若い人たちは、意外と冷静に現在の日韓問題を考えている。非常に面白いサイトがあったので、引用させてもらう。https://www.huffingtonpost.jp/entry/japan-korea-relationship_jp_5d521439e4b0cfeed1a2081c

7)その理想主義が、どのように米国を含む国際政治に影響しているのか、或いは、利用されているのかも米国を見る上で重要な視点だろう。

2019年8月13日火曜日

根の深い韓国の反日:Fルーズベルトの歴史捏造が原点なのか?

1)

日米戦争の末期、F・ルーズベルトは、日本を倫理的に非難するシナリオをどう作るか考えた。その中で旧日本軍の残虐行為については、南京大虐殺の捏造などで行うことになるが、不十分に感じた。それは、自国米国には奴隷制度があったからである。そこで、カイロ会談において、日本は朝鮮半島を植民地化して、朝鮮人を奴隷化したという話を捏造し、それを歴史上に定着させるための戦略を考えた。

これは高山正之氏の解説である。https://www.youtube.com/watch?v=a1wnypnVgeg

高山氏によると、GHQ発足後直ぐにそのFルーズベルトの考えに基づいた政策が実行された。はじめに、占領政策をスタートするにあたって、GHQは在日朝鮮人に対して今日は奴隷解放の日だと発言した。

そして、マッカーサーが厚木に到着して一ヶ月後の1945年10月15日に、在日朝鮮人を指導して、在日本朝鮮人連盟(補足1;朝鮮総連や大韓民国民団の母体;以下CHO連盟)を結成させた。その設立時、CHO連盟は、我々は戦勝国側であり、奴隷扱いした日本人にその行為の意味を知らしめるのが、我々の義務だと言い出した。そして、自分たちを戦勝国側の人間とし、連合国側の特権を持つと主張した。(補足2)

当時連合国側の犯罪に対して、日本は逮捕権も裁判権も持たなかった上、それらに関する連合国側に不利な報道は、検閲の対象となり出来なかった。その特権を彼らは主張し、そして、GHQも朝鮮人に対し連合国側の人間と同じ特権を与える旨の発表をした。

その結果彼ら在日の朝鮮人や韓国人は、終戦後の混乱が続く日本国内各地で暴行・略奪・窃盗などのほか、官公署に対しても横暴な態度と不当な要求・建築物の不法占拠などを行った。更に、汽車、電車、バスなどの不法乗車、更に、人民裁判などを引き起こした。数々の予想を超えた事件を見たGHQは、1949年9月8日、団体等規正令の「暴力主義的団体」として解散を命じた。(補足3)

CHO連盟の解散により、治外法権的権利の根拠を失うことになるので、それは怒った在日朝鮮人たちによる裁判所の襲撃などの原因となった。(武生事件など) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2)

以下、高山氏が紹介した幾つかの事件を、ネットなどで調査し、簡単にまとめる。

①直江津駅リンチ殺人事件:

1945年12月29日午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客(当時29歳のセールスマン)に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。

列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。

警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。犯人は3人とも朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。

犯人の朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった

②富坂警察署襲撃事件:

1945年12月30日、警視庁富坂警察署は管内で発生していた連続拳銃強盗事件の容疑者として在日朝鮮人3人を逮捕した。当時の富坂警察署は戦災で焼失しており、小石川国民学校の校舎を間借りしている状態であったため、3人の容疑者は警視庁本部と大塚警察署の留置場にそれぞれ留置されていた。

翌1946年1月2日、容疑者のひとりを富坂警察署へ護送して取り調べた後、署内の留置場に留置した。

1946年1月3日正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。

危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。

在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した。その後警視庁は、全力をあげて事件の捜査にあたったが、終戦直後の混乱もあって逮捕には至らなかった

③坂町事件:

終戦直後より在日朝鮮人や在日中国人は、取締権限の不明確さに乗じて公然と日本の法律を無視し、食糧管理法に反するヤミ米の流通・販売などの経済統制違反を繰り返していた。新潟県北部では、「在日本朝鮮人連盟」が新発田市に事務所を置き、羽越本線坂町駅を中継基地として、ヤミ米を関西方面に出荷していた。当時、1日あたり50俵が坂町駅を経由したといわれている。

1946年9月22日午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。

この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。

その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。

軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された。検挙された12人は新潟軍政部に移され、取り調べを受けたが、新潟県外への追放とヤミ米の買出しをしない旨の誓約書提出だけで全員釈放された。またこの事件を報じた報道機関が、朝鮮人に破壊活動を受ける新潟日報社襲撃事件へと発展した

3)

現在、日韓関係は最悪である。例えば徴用工裁判では、日本側は日韓基本条約と付属する日韓請求権協定で解決済みと主張している。その主張に合理性を察した韓国側は、そもそも日韓併合の違法性である。朝鮮半島は、日本帝国主義の植民地となった。そして、徴用工は奴隷として働かされたのだと主張している。

それは、本来戦争などしたくなかった米国市民を騙し、起ち上がらざるを得なかったのだというルーズベルトの対日戦争正当化のシナリオに原点がある。そのための歴史的捏造の一つが、朝鮮半島の植民地支配と朝鮮人の奴隷化であった。他にも、慰安婦問題の捏造は、米国の支援で米国を中心に行われた。韓国は国際機関でのロビー活動が一流だという説があるが、それは米国支配層(馬渕睦夫氏のいうユダヤ金融資本の人達だろう)の支援があってこそ発揮可能な能力だろう。(補足4)

その戦略をそのまま利用しようとしているのが、現在の韓国文在寅大統領だろう。そして、目指すのは、中国、ロシアと協力して、戦勝国側に自分たちを位置付ける歴史の捏造を行い、三つの国と日本との間の講和条約の書き直しだろう。

露中韓の三国による国際会議「東アジアにおける安全保障と協力」で中国外務省付属国際問題研究所の郭副所長が、明らかにした戦略に韓国側から協力しようと考えている筈である。その動きまで注意して日本は視野に入れなければならない。

しかし、現在の日本の陣営では、このような大きな戦略的考察のできるひとはほとんどいない。岸田や石破、それに、小泉まで総理候補になっている日本は、この線上を進むのなら、壊滅する日は近いだろう。

補足:

1)全国各地の代表4000人が集まり、金天海が最高顧問に、韓徳銖(後の朝鮮総連議長)が、神奈川県本部委員長に就任した。

2)サンフランシスコ講和条約の時に、韓国は戦勝国側としての参加を要求したが、拒否された。もし、それまでCHO連盟が大人しくしていれば、その要求が受け入れられたかもしれない。

3)在日本朝鮮人連盟は、日本共産党の尖兵となったという記事がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E9%80%A3%E7%9B%9F  4)ジム・ロジャーズは明確に、日本の消滅と韓国の隆盛を予想している。それは単なる予想ではなく、切なる希望だろう。https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20190516028/

2019年8月11日日曜日

知的能力について:

下記は、以前「知的能力について:」と題して、2015年9月17日に投稿した文章を改訂したものである。元々ヤフーブログの記事としてある程度閲覧されていたのだが、ヤフーブログの廃止により検索にかからなくなった。従って、その再録を目的とし、若干の修正とともにアップロードする。

1)人間の知的能力には多くの面があるが、それらは例えば、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力(及び創造力)、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、などだろう(補足1)。知的能力は、生命体としての能力の一つであり、従って生命力の一側面であると思う。 

上記6つの側面は思いつくままにリストアップしたまでであり、他にもいろんな組の捉え方があるだろう。また、更に何種類かの能力に細分されるだろう。例えば記憶にも、概念の記憶、事項や事実の記憶、図形・パターンの記憶、論理の記憶、感覚の記憶などがある。更に、脳の記憶場所によって長期記憶と短期記憶に分類される場合もある。(補足2)

また、記憶された情報について、分別及び階層化する能力と総合&統合する能力なども重要な別次元の記憶能力である。つまり、雑然とした情報の倉庫と整理整頓された倉庫では、情報抽出や情報操作(脳内での情報の演算など、補足2)の能力に差がでるだろう。これらは、分析力や直感力と重なる部分だろう。

他にも、論理の記憶は、論理展開の能力と重なる部分である。このことで解る様に、知的能力はある種の多次元空間での情報の貯蔵と抽出、想像や創造、個体内および個体間の伝達などの能力と言える。つまり、知的能力は”多次元のベクトル空間(補足4)を張る”とでも言えるだろう。 

6番目に美的感覚と書いたが、これは、生命力と知的能力の境界に位置する重要な能力である。自己の生命にプラスになる部分を美と認識し、マイナスになる部分を醜と認識するのだと思う。この美醜の定義は、芸術(美術)の美醜とは異なる。芸術で良し(美)とする基準には、思想や道徳などの価値基準も含まれる場合も多いからである。

知的活動のための情報収集は、感覚器と神経系、更に脳の記憶領域からの引き出しにより行われる。それらの処理と最終的な出力すべき情報の組み立てと円滑な出力までが、知的能力だろう。

これらの知的能力にも、生命体固有の能力の部分と、文化により調整される部分があり、それは上記美的感覚と同様だと思う。

2)脳のエネルギー源は体液循環供給された糖分と脳内代謝であるから、知的能力は年齢や健康状態、更に、日々の生活の様子により相当異なるだろう。

従って知的能力には、生まれた時に持つ潜在能力(あるいは生来の能力)に、これまでの知的活動により蓄積された情報が関係する二次的(副次的)な部分が加わる。教育は、この副次的な知的能力を追加するプロセスである。

人は、生命維持(社会の維持も当然含まれる)と再生産(子供を産み育てること)を能率的に行う為に、様々な能力を使っている(つまり行動している)。知的能力は、その行動の方針を脳内で組み上げて、準備する能力である。

知的能力は、自分自身と他の生命体(社会も含む)、そして自然などの周囲・環境に働きかけるための作戦を立てる能力である(補足5)。

それらを実行する能力として、目や耳などの感覚器を使った社会や環境の状況を把握する能力、更に顔の表情と口舌を使った対話・説得能力、四肢を使った運動能力などが付け加わる。これらすべてが総合されて、人間の能力を成す(補足6)。

結語:常々思うのだが、最近テレビでクイズ番組が多く放送されており、クイズ専門の芸能人も多い。その状況を見ると、日本の現代は非常に貧弱な文化の中にあると思う。その中で中心的な活躍をし、半ばスターとなっているのが、最高学府(T大学)の学生たちである。彼らを見ると、日本の将来は本当に暗いと思う。それに協力している大学の某教授(T大卒でM大教授)には、腹立たしさを感じる。青年よ、大志を抱けと言いたい。

(結語は、翌朝編集) 補足: 

1)知的能力を鍛えるのが学校であり、途中の成果を試験するのが大学入試だとすると、それらの現状が如何に不完全であるか解るだろう。特に入試では、主に最初の二つの能力をテストするに過ぎない。

2)コンピュータも短期記憶と長期記憶を区別して設計されているだろう。つまり、CPUからアクセスの早いメモリと、ハードディスクのようにアクセスの遅いメモリである。用途的には、ネット閲覧の際のキャッシュなどは短期メモリに入るのだろう。

3)例えば、誰かに必要な情報を提供する際、情報のパッケージを脳内で作り上げる必要がある。さらに、記憶を強調し直したり、逆に忘れたりすることも必要である。そのような情報に関する脳内での操作一般を示す。

4)ベクトルとは長さと方向を持った量であり、矢を思い浮かべれば理解できる。我々が生きる物理的空間は、x軸、y軸、z軸の3つの方向があるので、3次元ベクトル空間といえる。

5)自分自身に働きかける行為として、学習や休息・娯楽も含まれる。

6) 上記はロボットを思い浮かべて書いた文章かもしれない。内臓コンピュータは、CPUと記憶装置、更にそれに組み込まれたベーシックソフトで構成される。アプリケーションソフトは、記憶装置に貯蔵され、必要に応じてCPUに近いメモリにロードされる。人間の築いた文明は、自分の体の作りや自然を、別途再構成することなのだろう。

2019年8月10日土曜日

長崎市長の平和宣言に思う:空疎な理想論はいい加減にすべき

1)核兵器廃絶運動というのは、日本政治の標語であるが、現実的な言葉では語られることはない。通常、世界中での核拡散を嘆く、お経か無意味な民謡のように、その言葉は繰り返される。あたかも、祈りを捧げる儀式のようである。その言葉は、あとで山本七平の理論に沿って考察するように、空虚な理想論(空体語)である。

核兵器の不拡散条約は、核兵器を独占するための核保有国の戦略である。何故、かれらが核兵器独占を目指すか? それは世界の覇権国としての利益を確保するためであり、国防のためである。米国の中央銀行であるFRBは、その通貨に利子をつけて、世界の中を循環する「お金」の一部を(悪く言えば)掠め取っているのである。(補足1)勿論、国際決済通貨を供給して、国際間の経済的取引の円滑化に貢献しているという論理は成立する。

日本人は、核攻撃により15万人虐殺されながら、核兵器廃絶運動の先頭に立つという、バカな役回りを演じている。しかも、米国から、例えばドイツなどのように核共有という制度で、核の脅威から自身を守る具体的手段も供給されているわけでもない。

今後、北朝鮮の核兵器廃絶を米国は諦めるだろう。そして、出来れば北朝鮮を米国の友邦として受け入れ、中国やロシアを睨む拠点にしたいと考えているだろう。それは夢想であり実現しないだろうが、日本を北朝鮮の核兵器から守る保障は、口約束以外の何ものでもないだろう。

科学の教える原理は拡散であり、消滅ではない。つまり、人間の力では核兵器の廃絶は出来ない。砂糖水が自然に真水になり、隅に角砂糖が析出するなんて、自然科学の大原則に反する。それと全く同じ状況を核兵器に期待するのは、欧米なら、無知な12歳児でもやらないだろう。

我々が考えるべきなのは、①核兵器の攻撃を受けないこと、②どこかの核保有国の奴隷的国家になったり、国土を取り上げられたり、虐殺されたりしないこと、それに、③核兵器による攻撃を免れることとの引き換えに、大きな経済的負担を強いられないこと、これら三つの実現を如何にして成し遂げるかである。

これを考えれば、究極的な答えは核保有以外に答えはないだろう。ただ、それを成すには、降って湧いた幸運か、遠大な戦略が必要である。(補足2)一方で、空疎な理想論は妨げになる。もし、核保有の準備を始めたら、卑怯者日本という国際的避難と世界的な経済制裁が用意されている筈である。

2)日本人は、非常に社会性の強い民族であり、従って、平均として個人の自立とその人格への投影である利己主義から遠い。問題は、世界はそれを受け入れるほど、豊か且つ平和(安全)ではないということである。日本人の理想は、長崎市長の平和宣言の通りであるが、その実現は現状不可能である。

何故、実現不可能なことを長崎や広島の市長が平和宣言とか言って繰り返すのか? それには日本人独特の文化がある。そのヒントが、上記山本七平の分析による「空体語」という言葉である。

山本七平は、「日本教について」の中で、「実体語」と「空体語」の組み合わせで、何かを主張する日本人(=日本教信者)の習性を指摘した。「実体語」とは現実的な言葉であり、それは、核の脅威とそこからの逃避や防備の言葉だろう。一方の「空体語」とは、実体語ではどうしても解決できない問題についての、理想論で掲げる解決目標である。

つまり日本人は、実現不可能と思われる理想を廃棄するのではなく、標語や宣言文として高く掲げることで擬似的解決として、一種の恍惚感を得て安心するのである。それは問題解決を諦めることの欺瞞的表現である。その標語や宣言文などを山本七平は「空体語」と呼んだのである。

空体語で問題解決から逃避する習慣の原因として、日本語は論理の運びを円滑にできるほど、整備された言語ではないことだと考えて来た(山本七平もそう記述している)。しかし、その考えは修正する必要があると今考えている。日本語でも論理的思考をする上で必要な道具建は存在する。実際にその習慣が日本人の間に広がれば、日本語は自動的に十分な言語に発展するだろう。

日本語よりも問題なのは、日本人の平和ボケ文化であり、そして、結果としての淡白な思考である。その原因は、広い背景から粘り強く思考して解答を見つけるような文化(思考法)を現状持っていないことである。これら言語上の原因と、文化という結果は、相互作用して現在の形となったのだろう。

3)概して平和な島国であったことは、皇室が2000年近く続いたことで証明されている。その歴史的背景もあり、それぞれの専門分野での世襲型の匠を高く評価することで、文化の維持はできた。つまり、各専門分野に日本民族全体から人材を選んで供給し、常に新旧の闘争のある形で、全体力の強化を目指す必要がなかったのである。

その結果、日本にはGeneral(全体分野)が知識を評価する文化がない。司馬遼太郎はその点に着目して、立派なGeneral(将軍)がいないことが戦争に負けた原因の一つだと考えている。https://www.youtube.com/watch?v=sSNV0Mnh-WY&t=1s

Generalの居ない所に、戦略など有り得ない。Generalの居ない所に、難問を解く思考も、それを戦略化する思考も存在しない。全ての難問は理想論を語った標語(山本七平の空体語)として、バスケット(同、空体語バスケット)の中に投げ込むことで擬似的解決のカタルシスに浸ってしまうのである。

現実的な武士の世界が1000年間存在したが、それも「士」という字が示すように専門職であり、Generalなものを目指して居ない。その一部は、薩長新政府として生き残ったものの、そのほかは明治の時代に滅んだのだろう。それが、日本国民全体とは隔離されてヤドカリの宿のごとく、国民とは離れて存在している。一票の格差と地方の利益と絡んだ選挙区制度でそれが温存されていることも、国民は気づくこともない。

歌舞伎は第12代、市川團十郎が活躍し、焼き物は15代柿右衛門が守る。(補足3)政治は、元総理大臣の岸信介から数えても、元衆議院議員の安倍寛から数えても3代目の安倍晋三が受け持っている。次には、第2次若槻内閣で逓信大臣を務めた曽祖父小泉又次郎から数えて4代目の元小泉純一郎総理の次男小泉進次郎が待っている。

そんな下らない政治で、世界の中で今後100年間、日本の立ち位置を見つけることは不可能だろう。
(軽微な編集あり:翌朝)

補足:

1)通貨はもともと金の預かり証である。貸借対照表ではLiabilityつまり負債の項目に入る。負債でありながら利子を取るという恵まれた位置にあるのが、国際決済通貨の米ドルである。それを守る背後に歴然と(目の見える人にしか見えないが)存在するのが、世界一の核攻撃能力である。

2)米国は、過去何度か日本に憲法改正と核武装を勧めたという。(片岡鉄哉、「核武装なき改憲は国を滅ぼす」、ビジネス社、35ページ)米国は自軍の負担軽減を考えたのだが、日本にとっても一人前の国に戻るチャンスであった。それに乗らなかったのは、自民党官僚政治家特に佐藤栄作の無能なところだと思う。

3)日本のお家芸の一つ磁器の製造は、秀吉が高麗や中国から職人を連れ帰った(韓国では拉致という)人たちにより、九州の有田地方(佐賀県)で始まった。その大元は中国の景徳鎮である。17世紀に有田で製造された磁器は、西洋に輸出され、マイセンからウエッジウッドまでの磁器製造の元となった。その結果、至る所に伊万里(IMARI)のパターンが現在でも残っている。その伊万里焼きは、現在の日本のあらゆる磁器よりも美しく高度な技術となっている。


2019年8月7日水曜日

愛知トリエンナーレ:慰安婦問題を主張する少女像は芸術か?表現の自由が主張できるのか?

1)愛知トリエンナーレでの企画展の一つ、「表現の不自由展ーその後」で展示された“芸術作品”に非難が集中し、10月まで予定されていた展示は3日で中止となった。

中でも非難が集中したのは慰安婦問題のプロパガンダに用いられた少女像である。この件、二日前に記事を書いたのだが、そこでは完全にプロパガンダとして扱い、芸術であるという主張など作品展を企画した人と出品者、それに少数の韓国系のプロパガンダ要員として働く者以外からは出ないものと思って無視した。

ところが、大村知事までこれら作品の撤去は憲法21条に違反する可能性があると発言したことで、驚いている。

憲法21条とは、表現の自由や結社の自由などに関する条文である。先ず指摘したいのは、憲法21条を引用するときには、同時に憲法12条を考慮しないといけない。つまり、「国民は、表現の自由を濫用してはならない。そして、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」のである。

憲法の精神を云々するのなら、表現や結社の自由のみならず、基本的人権まで公共の福祉に反して主張することはできないことを知るべきである。

憲法問題以前に、展示されたものが芸術かどうかの議論も大事である。何故なら、愛知トリエンナーレの開催の趣旨から、展示されるのは芸術作品でなければならないからである。

あの少女像は既に、世界各地で従軍慰安婦問題のプロパガンダとして用いられた道具であり、芸術作品ではない。それに、多くの日本人に不愉快な思いを起こさせるとしたら、その時点での芸術の資格を失う。それを以下説明する。

2)芸術とは何かを考えてみる。芸術とは、①人間に共通して何か重要な真実や本質的な美などを感じさせる、人工的パーフォーマンスである。繰り返すが、全ての人間共通に訴えるものでなくてはならない。②更に、芸術は個人或いはグループが、芸術作品としての主張とともに、そのオリジナリティーを主張できるものでなくてはならない。たまたま自然に出来ていたものは、芸術作品ではない。また、単なる道具で、芸術作品であるとの主張がなければ、芸術作品ではない。(補足1)

この最後の条件だが、芸術作品としての主張が不要なら、ハサミや鍋釜なども見方によっては芸術作品である。自動車も、機能美を表現した素晴らしい芸術作品となる。

そのように考えると、あの少女像には政治的目的の為に作られ、広く用いられた政治の道具(プロパガンダの道具)であり、芸術作品として主張する資格は喪失している。そのほかに日本の旭日旗も、政治的目的がなければ芸術作品(デザイン)として誰か考案者が主張できただろう。

慰安婦問題が捏造され(補足2)、そのプロパガンダのために世界で広く用いられ、日本人に強い不快感を与える以上、人間共通に何かを訴える能力もあの像にはない。「平和の像」と名付けたとしても、日韓に平和をもたらすものではない。愛知トリエンナーレはブラックユーモア展ではない。

他の美術展での審査が非常に不味かったので、価値の高い芸術作品が落選していたという主張とともに展示されるのなら、「表現の不自由展ーその後」と題して愛知トリエンナーレで展示するという考え方は、全く無いわけではない。そのような主張があったとはどこにも書いてない。

そんな展示に対して、表現の自由を持ち出すのは、全く理不尽である。繰り返すが、憲法12条と憲法21条をあわせれば、「表現の自由は、公共の福祉の為に利用する責任を負う」となる。多くの人に政治的不快感を与えるだけの作品に、芸術作品としての資格はない。

補足:

1)芸術は英語でartである。Artは人工という意味がある。つまり、人が作ったものがアートであり、その人が自分の独創であることを主張するか、主張する筈の人が想定されてこそ、アートであると私は思う。

2)最近、元米国陸軍特殊部隊員で、従軍記者及びカメラマンとして働いたマイケル・ヨン氏の本「慰安婦の真実」(日本語版、2018年10月、育鵬社)を読んで、従軍慰安婦問題は韓国や中国の捏造であると一層確信するに至った。

インド独立の英雄チャンドラ・ボース

昨日は広島に原爆が投下されてから74年目である。広島市長による平和宣言全文は、ヤフーニュース上の読売新聞の記事で読んだ。そこでも当時の経験者の歌や言葉には力を感じる。ただ、それをどのように行政に活かすかという視点で評価するとしたら、貧弱な内容でしかないと思う。以下にその一節を引用する。http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」。

更に:

日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。

そのガンジーの言葉に学んで何をなすのか。寛容の精神、非暴力の精神で本当にインドは独立できたのか? 

理想主義の延長上には「寛容の精神で団結して、支配者の横暴を説得で放棄させる」という方法論があるだろう。しかし、それに立ちはだかるのは「寛容のパラドックス」である。つまり、規律のない寛容は、不寛容により破壊される。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

インドでの独立運動を主導したのは、マハトマ・ガンジー、ジャワハルラール・ネルー、チャンドラ・ボースらが指導者とするインド国民会議であった。その後、非暴力の限界を悟ったチャンドラ・ボースは、ガンジーの下を離れて、インド国民軍を組織して、独立のための戦いを考えて。そして、インパールで日本軍とともに英国と戦い、大きな打撃を与えるが最終的に敗退した。敗戦後、日本からソ連に逃れ組織を再構築するつもりだったが、台湾での飛行機事故で1945年になくなる。

終戦後、英国は国民軍の兵士を裁判にかけようとするが、民衆は愛国者である国民軍兵士を護ろうと反対運動に参加し、それが独立運動に発展した。そしてインドは1947年8 月に独立を果たす。

「インドの英雄としてのチャンドラ・ボースの位置づけは、ガンジーと同等でネルーより上位であり、国会での写真の飾り方はチャンドラ・ボースが最上部になっている」とウィキペディアの「インド国民軍」の項には書かれている。つまり、インドの人々は、独立を寛容の精神と非暴力で達成したと考えるより、最終的には命をかけた戦いにより勝ち取ったと考えているのである。

カルカッタの国際空港の名が、ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港と改称されたこと、インドではその英雄の死を信じない人が最近まで多く、インド政府が公式に認めたのは、「1945年8月18日、飛行機事故のため台北で死亡した」と市民団体に対し回答した2017年5月30日のことであったこと、1998年にはネータージー・スバース工科大学が設立されたこと、などを考えても如何にインドの人々がチャンドラ・ボースを尊敬しているかがわかるだろう。

ガンジーの非暴力不服従路線と違い、日本やドイツと手を組み活動したことから否定的な見方も存在するのは確かである。独立後のインドを主導したネルーは10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導していたという。このことを少し考えれば、真の英雄は誰か明らかだろう。

暴力で抵抗を抑えつける側にとって、押さえつけた者たちの非暴力や寛容の精神は都合が良い。同じ平和でも、差別の平和には価値はない。核兵器で破壊された広島の人々が、核兵器で自衛しようと考えないとしたら、その平和主義は核兵器で世界の覇権を握ろうとする中国、ロシアなどには誠に都合が良い。韓国にとっても北朝鮮にとっても都合が良い。真の安全保障を考える日本人以外の全ての人にとって都合の良い歴史感に従った市長の平和宣言だったと思う。

補足: RAJとは大木の名称、ここでは初代首相ネルーだろう。

2019年8月6日火曜日

日本は傀儡の偽装国家だろう:横田めぐみさんの遺骨鑑定の嘘とそれへのコメント追加

2ヶ月ほど前に、記事が3年程度古くなると、ブログのマイページ内からでもキーワード検索できないことを知った。(補足1)そこで、容易に自分でもアクセスできるように、主な記事を再録している。今回の対象は、5年前に投稿した「日本政府は横田めぐみさんの遺骨鑑定について嘘の発表をしていた!!」である。今回、その件に関して少し考えた結果、その嘘にはかなり深い理由があるのではないかと思うに至った。前半は現時点での謎についての考察について、後半に前回記事を再録する。

1)5年前の記事(表題の後半部分)は、「骨を普通に火葬すれが、DNAがリン酸酸化物やNOxやCOx(x=1又は2)などのガスなどになり、DNA分析など不可能だ」と云う化学の常識を書いただけなのだ。

この単純な捏造がNature誌によって指摘されたのだが、それを簡単な質疑だけで済ませた国会も、当事者の日本政府同様非常に腹立たしい。この日本政府のお粗末な対応の瞬間は、背景にあるもっと大きな疑惑の尻尾が現れた瞬間なのだろう。それにも関わらず、このようにアッサリと質疑を切り上げたのは、野党もこの重大な疑惑を国民から隠す共犯者だという証明になったと思う。(補足2)

つまり、日本国全体、つまり日本政府、国会、最高裁判所は、何方側も気づいてないかもしれないが、巨大な何者かの下に存在する傀儡組織であり、日本国民はヤドカリのように、その棲家を借りて生きているということである。あの事件は、それを明確に知る機会だった。 あの民主党の首藤信彦氏の質問と、それに答える町村信孝氏のやり取り(町村氏は多分外務大臣、再録文の官房長官は誤りだろう)が、大きな騒ぎに発展しなかったのは、ヤドカリの殻を形成するという虚しい職業にある人たちが、自分たちの正体がバレてしまうことを恐れた結果である。質疑の詳細は以下の記事に紹介されている。http://www.krp1982.com/nicchoukanren/rachimondai/rachimondaikokkaishinginokiji/abduction2005februaryandmarch.htm

何故なら、灰になった骨からDNA配列が検出されたという、全くの非科学的な結論が、内閣官房長官により全国民に強制された。(補足3)与野党国会議員からマスコミまでの全ての人間が、最終的に町村氏の答弁でこの件を終わりにし、その後現在まで自民党が継続して政権についている。この不健全な偽装には、深い理由がなければならない。

あのような露骨な捏造をしてまで、北朝鮮を急ぎ攻撃するネタを作ったのには、日本国家の力を超える力が働いたと考えなければ説明できない。(補足4)以下は単なる想像だが、もし例えば「小泉内閣が闇で行った北朝鮮支援の真相を、米国は諜報機関の働きで得ていて、直ちに打切らなければ、全て明らかにすると脅された」なら、日本政府はそのような捏造をするだろう。この当たりの知識は、筆者にはないので詳細は書けないが、興味ある記事があったので引用する。 https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/019395611ba6c1d464d050fed50c0e66

この一連の経緯を、どのような形で日本政府と日本議会のアーカイブとして残しているのだろうか、恐らく何年後かには焼却処分にしているのだろう。ややこしいものは全て火の中に投じることで、真相を闇の中に葬ることは、偽装国家の常だからである。因みに、あの戦争関係の重要書類なども、多くは灰となっているのだろう。

補足:

1)今まで、Googleという会社の懐の深さを信頼していたのだが、所詮営利企業であり閲覧の少ないブログにはやはり冷たいのだと思う。この記事は比較的閲覧がある方で、google でキーワード検索すると、5ページ目位に出てくる様だが、クリックすると「このサイトは未だ評価されていません」という警告メッセージが出る。その警告は、非常に腹立たしいのだが、googleには化学の専門家は居ないと考えて納得することにして、先に進むことにする。

2)加計問題などでは非常に長期に渡って政権攻撃を行った。それとは比較にならない大きな問題であるにも関わらず、幕引きは早かった。

3)閣僚の答弁とはそういう意味がある。単に野党議員個人に対する答えではない。

4)最近の統計偽装などは、比較的軽い。それでも随分と長い間野党は食い下がったし、今でもそれは継続している。しかし、遺灰からのDNA検出は、このレベルの偽装ではない。https://toyokeizai.net/articles/-/264805

以下は再掲部分:

2)北朝鮮から拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨として送られた骨を日本政府が鑑定して、めぐみさんのものではないと結論された。そして、声だかに日本のDNA鑑定の技術の高さが報道された。しかし、今日中部地方で放送された「たかじんのそこまで言って委員会」において、内閣参与の飯島勲氏は、次のようにこの件について発言した。それらは、1)鑑定者本人がイギリスのNature誌の取材に”偽物とも本物とも言えない”と答えたこと、そして、2)その事実が広がらない様に、鑑定者の学者を隔離したこと、そして、3)それらの手配は日本の外務省が行なった、の3点である。

この発言に驚き、ネット検索をしてみたところ、その件に関して国会の外務委員会で質疑されていたことを知った。それを記したサイトは、http://deztec.jp/design/06/07/02_science.htmlである。そこでの記述によると(第162回国会 外務委員会 第4号(平成17年3月30日(水曜日))、質問者は民主党の首藤信彦氏で答弁は町村信孝氏である。国会質疑の記録はクリックしても読めない(これも変だ)ので、上記サイトに引用された文章を読むしか無い。それによると、首藤氏の質問は論理一貫しているが、外務大臣の町村信孝氏は:

「ネイチャーが立派な雑誌であるということは私も承知をしておりますが、一々の報道等には、それは必要があれば反論してもいいのですが、私どもは一々それについて言う必要はない、こう考えております。  御指摘の取材を受けた関係者に対しても、これは私ども、直接というよりは捜査当局の方から事実関係を確認したわけでございますけれども、その関係者は取材の中で、焼かれた骨によるDNA鑑定の困難性一般論を述べたにとどまっておりまして、当該鑑定結果が確定的ではないんだという旨を言及したことではないということをその方が言っておられると私どもは聞いております   いずれにいたしましても、この当該報道が今回私どもがやったこの鑑定結果に何らの影響を及ぼすものではない、私どもはそう判断をいたしております。」と答弁しているが、説得力はない。

 最初に引用したサイトによると、鑑定を担当した帝京大の吉井氏は警視庁に引き抜かれたという。これが今日のテレビ番組で飯田勲氏が「鑑定した学者を隔離した」の人事的な表現なのだろう。そして、質問した首藤信彦氏は衆議院議員選挙で落選した。

 2005年のことであり、私は仕事に集中していた為深く考えなかったが、火葬した遺骨からDNA鑑定したということに疑問をもった記憶が甦って来た。そして、上記サイトによると、Nature誌はEditorialつまり、新聞で言えば社説にあたる部分で、この鑑定に疑問を呈したという。この件、日本の研究者の声も聞こえてこなかったため、不思議だと思いながらも深く考えなかった。しかし、私の専門である化学の常識によれば、火葬すれば核酸はすべて、二酸化炭素、酸化窒素、そして、リン酸化合物(リン酸塩)になる筈である。

 この核酸の火葬による焼失は常識であり、鑑定者によって出された、横田めぐみさんのものではないという結論は、デッチあげかもしれないと思った。しかし、科学者は一般に自分の論文は、専門外の者は容易に理解できないと思っているから、逆に、専門外の分野の研究者が出した結論、つまりこのDNA鑑定には安易に口出し出来ない。ただ、上記サイトにある町村氏の説得力の無い答弁、鑑定した学者の警視庁への引き抜き、そして今回の飯田氏の発言から考えて、今はっきりと日本政府の捏造と言える。

 日本政府のこの愚かな行為は、日本政府の体質を表わしており、全ての今までの政府声明に疑いを抱かせるものである。戦中戦後の様々な出来事について、韓国や中国ともめているが、それらのことについても日本政府が事実として発表していることは国際的にも国内的にも信じられないことになる。従って、私も今後ブログ等でこれらにことについて発言しないことにする。

  一般の人は政府発表を信じているようである。例えば、ヤフーは次のサイトを拉致問題の記事を読んだ人向けに類似記事としてreferしている。http://blogs.yahoo.co.jp/tncfn946/30415411.html 化学に無知な人は、この記事にあるように火葬した骨からDNA鑑定できるという政府発表を信じてしまうのである。しかし私の記事は決してヤフーのreferenceに掲載されないだろう。

2019年8月5日月曜日

韓国の為の反日プロパガンダ:NHK放送と愛知トリエンナーレ

現代の世界政治では、捏造とプロパガンダでもって、人々の感覚に直接訴えるポピュリズムの傾向が強い。その一番ひどい例は、日本における韓国や朝鮮のプロパガンダだろう。日本国民は、政府や地方行政府の無策の結果、その洗脳策に嵌っている。そこで利用されているのが、新聞やテレビ放送など公共放送や様々な公共媒体である。ここではNHKの放送と、愛知トリエンナーレにおけるプロパガンダについて紹介したい。

1)8月2日金曜日午後7:30の中部地方ナビゲーションという番組で、今回の日韓の関係悪化のため、岐阜県と韓国の高校生の間の交流事業が、韓国側の申出により中止になった事実とその高校生らの様子が放映された。その交流では、徴用工労働の現場である鉱山の坑道を訪れて、朝鮮半島から動員された徴用工の問題なども話し合われる予定だったと紹介されていた。その坑道に残る「金」という字を、半島から来た人の姓として見せる予定だったようである。

その番組での「徴用工」の説明は、「植民地時代の朝鮮半島から強制的に炭鉱労働などに動員された人たち」であった。この文章をすんなりと理解する日本人が多いだろう。それは韓国のプロパガンダ或いはパブリック・ディプロマシー(PD, public diplomacy)が成果を上げている証拠である。

上記紹介は二つの点で、韓国側のプロパガンダに沿っている。一つは、①「戦前の韓国は日本の植民地だった」という捏造の歴史であり、もう一つは、②「徴用工が朝鮮半島から奴隷的に動員された」という事実誤認である。つまり、朝鮮半島の人を選択的に奴隷労働させたという印象付けである。それらは99%捏造された歴史と言える。(補足1)

①韓国は、戦前の一時期、国際的にも国内的にも大日本帝国の一部であった。それは大日本帝国と大韓帝国が、同意し調印した日韓併合条約の結果である。その結果、大韓帝国は日本の一部となり、インフラ整備も日本の地方よりも優先的に行われる場合も多かった。歴史的経緯と論争などについてはウィキペディアの他:=> https://blog.goo.ne.jp/yshide2004/e/5643a9a311ec43a34e2ccd939d4b00a2

例えば、教育インフラとしての大学では、京城帝国大学が大阪や名古屋の帝国大学に先んじて創設された。また、大韓帝国最後の皇太子「李 垠」は、日本の王族となった。その証拠に、李垠は日本の皇族と結婚し、30歳前半で日本軍の中将になった。(ウィキペディア参照)

また、元李氏朝鮮の両班出身である洪思翊も、陸軍中将にまで昇進した。元韓国大統領の朴正煕は、陸軍士官学校を卒業し、元陸軍の将校になった。これらの例が示すように、大韓帝国は日本の植民地ではなく、日本と少なくとも建前的には同等の立場での併合により、日本の一部であった。植民地の出身者が、宗主国の一般民よりも高い地位に登ることなど出来る訳がない。

以上、韓国が日本の一部であったことは明白であり、NHKの云う植民地支配は、捏造であり韓国側に立ったプロパガンダである。(補足2)

②徴用は、戦前の日本国内のどこでもあったことである。国家非常時の際、兵士に適した人たちは徴兵され、それ以外の人たちの一部は徴用された。そして、徴用に応じることは、国家に協力することであり、国民の義務であった。朝鮮半島は当時日本の一部であり、そこに住む住民も、日本国民としての義務が課されたのであり、それは日本列島に住む人間も同様であった。

徴用令は、国家総動員法に基づき1939年に制定された勅令である。学生や女子にまで及び、それぞれ学徒勤労動員や女子挺身隊と呼ばれた。最初は日本本土に限られていたが、1942年から朝鮮半島(に住む朝鮮人)にまで拡大された。つまり、軍需工場や鉱山などでの徴用に基づく労働は、韓国人に限ったことではなかった。国家の非常時、徴兵に応じること等とともに国民の義務であった。

その厳然たる歴史的事実を隠して、NHKはあたかも日本の植民地であった朝鮮半島から、人々が奴隷として連行され強制労働に就かされたという、韓国側の現在の主張に沿った紹介をしていた。この報道のあり方は当然、プロパガンダである。日本国民に、日韓併合など無かったこと、朝鮮人を多数強制連行したことなどを捏造し、刷り込む目的だったのだろう。この放送を視聴して、非常に腹立たしく思った。(補足3)

2)これらの他、先週は名古屋での愛知トリエンナーレと称する、3年に一度開催される国際芸術祭(国内最大)が話題になった。愛知県と名古屋市の共催であり、2019年は津田大介という人物が総監督になった。その企画の中で「表現の不自由展ーその後」と称して展示された“芸術作品”に非難が集中し、10月まで予定されていた展示は3日で中止となった。

展示品の中でも非難の的となったのは、”従軍慰安婦”を象徴する少女の像であった。所謂「従軍慰安婦問題」とは、戦争中に日本軍により韓半島から女性が20万人以上拉致され性奴隷にされたと韓国が主張する、歴史上稀に見る捏造事件である。(補足4)

津田氏の挨拶によれば、テーマは、“情の時代”で、その英語版タイトルはTaming your/our passion(貴方と我々の感情を飼いならす)である。その様に決めた理由は、現在、「世界はマスメディアやインターネットなどで流される情報により感情を煽られ、世界中で分断が生じている。これを解決するのもやはり情(なさけ)ではないかと考える」と説明する。https://aichitriennale.jp/

しかし、その展示物は異常であった。上記のほか、昭和天皇の写真が燃やされる場面の動画、中国大陸に残された日本軍従軍慰と題する写真、群馬県朝鮮人強制連行追悼碑と題されたもの、償わなければならないものと題された絵、昭和天皇の若い頃の写真を入れた「遠近を抱えて」と題する4点ものなど、韓国の捏造した歴史を主張する作品が異常に多い。https://censorship.social/artists/

これらは、テーマの「感情を飼いならす」からは程遠く、憎悪の感情を刺激して人々の対立を煽る結果となった。展示された少女像だが、同じ鋳型で作られた少女像は、第二次世界大戦中に韓国人女性が20万人以上強制連行され、従軍の性奴隷にされたという捏造の歴史を碑文として添え、世界各地に設置されているのである。https://blueroom-archive.jimdo.com/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%A2%91%E3%81%AE%E7%A2%91%E6%96%87/

今回の件も含めて、日本国内に韓国や朝鮮のプロパガンダ要員が大勢いることを印象つける展覧会であった。現在世界では、政府対政府の外交ではなく、相手国の世論に直接働きかける外交戦略が重視される時代になっている。https://toyokeizai.net/articles/-/278438 その手法は、韓国オリジナルではなく、背後に米国の一部勢力があったのだろう。

補足:

1)植民地支配という言葉に明確な定義があるわけではない。歴史学は、残念ながら数学ほど単純ではない。朝鮮半島の人たちが過去の日本による統治が、植民地支配だったと感じる気持ちは分からないではない。しかし、公式には日韓併合条約は有効であり、韓国や台湾は日本に併合されたのである。韓国は、例えばUnited Kingdomのアイルランドのような位置にあった。酒盛りの中では色々言っても、外交の場では大人の発言をしなければならない。

2)「日本の韓国統治非合法論」は韓国のプロパガンダである。これについては、https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/11/blog-post_26.html 更に、その延長上に対日講和条約改訂論がある。後者については、北野幸伯氏の記事を参照してもらいたい。https://diamond.jp/articles/-/66110?page=2

3)NHKから国民を守る党(N国党)が、参議院選挙で一人の当選者を出し、政党要件を満たす得票率を得た。党首の立花孝志氏は、反日的なNHKから日本を守ってくれる可能性がたかい。

4)所謂「慰安婦問題」(官憲による強制連行)が捏造であったことは、マイケル・ヨン氏の本「決定版・慰安婦の真実」や朴裕河さんの「帝国の慰安婦」などで明らかである。米国であれほど宣伝され、国連の人権委員会で日本は彼女ら被害者に賠償すべしと決議されるまで、問題が大きくなったのは、ニューヨーク・タイムズなどの背後にあるユダヤ資本が支援したからである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%9F%E5%A0%B1%E5%91%8A

2019年8月4日日曜日

再)山本七平著「空気の研究」について

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。ブログのマイページ内からでもキーワード検索できないので、今後検索に掛かるようにここに再録します。(2014年6月9日投稿)

山本七平著「空気の研究」(注1)を読んだ。体力のない私には非常に読み難い本だった。ここで、その要点と私のオリジナルな解釈を混ぜて、感想文を書く。

日本人の社会は、(場の)空気の支配を受けやすいというのは、何時も感じていることである。山本七平は、日常の様々な場面、及び、歴史的な出来事、例えば、戦艦大和の無謀な出航や、自動車による公害問題などを例にあげ、空気に支配されて出した決断による多くの失敗をリアルに描写している。そして、日本社会の特徴として「我々は常に、論理的判断の基準と空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そして我々が通常口にするのは論理的判断基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。」と書いている(文庫版22頁)。

山本七平は、「空気の支配」における二つの本質をあげている。一つは、A) 空気支配の背後にあるのは、対象への「臨在感的把握」に基づく判断基準であること。(文庫版30頁)つまり、日本人は物や言葉を臨在感的に把握する傾向が強く、それが「空気支配」の起こりやすい背景としてある。臨在感とは、あるものの背後に超自然的な何かを感じる感覚のことである(注2)。キリスト教などの一神教(他にユダヤ教とイスラム教)では、偶像崇拝(つまり、臨在感的把握の対象物)を強く禁止している。それは、神と人との直接契約であるべき信仰に、何か別のもの(神性をもったもの)が入り込む可能性が出てくるからである。その結果、神を除く全てを、臨在感的に把握する可能性が低くなり、「空気による支配も」顕著ではない。

有力な人またはグループが、ある命題(例えば“原発は全廃すべきである”)を提案すると、その説或いはその説の対象とする物体(原発)が、臨在感を伴って人々に把握される場合がある。その結果、その説が日本全体を支配してしまう。これが「空気の支配」の人工的醸成である。それを許してしまう、もう一つの「空気の支配」の本質は、B)「空気の支配」は「対立概念で対象を把握することを排除すること」である。対立概念で対象を把握すれば、たとえその対象が臨在感的把握によっている場合でも、絶対化されず、対象に支配されることはあり得ない。(文庫版51頁)

この空気による支配が日本で顕著なのは、日本の言語にたいする文化とアニミズム的な宗教文化に原因がある。「言葉の偶像化による空気支配」が起こるのは、言葉の本質が理解されていないからである。つまり、「人間が口にする言葉には、「絶対」といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握出来るし、把握しなければならないのである。そうしないと、人は、言葉を支配出来ず、逆に、言葉に支配されて自由を失い、言葉を把握できなくなってしまうからである。」(文庫版74頁)最後に、聖書の創造の物語とヨブ記を材料にして、この命題の相対化の重要性を説いて、この「空気の研究」という文章は終わっている(文庫版88頁)。

     ところで、人工的醸成の結果ではない「空気」であるが、それは殆どの場合、「保守的な考え方の支配」に置き換えられるのではないだろうか。長い間につくられた日本の社会にある、慣習や価値観に従うことを、半ば強制されたように感じることを「空気の支配」と言えると思う。(注3)従って、社会の変化が急になると、この空気の支配がその変化への対応の邪魔になる場合が多い。日常での空気支配においては、その原因やあり方において、おそらく儒教の影響が大きいと思う。儒教は、“道徳”という装置を用いて、(師と弟子、父母と子供、先生と生徒、君と臣など)社会に層状構造を持ち込み、その層内では平等&均質性を、層間では絶対的差別を強要する。「空気の研究」にも、「日本の道徳は、差別の道徳である」という記述がある。(文庫版12頁)つまり、その伝統的価値が絶対的なものとして社会に生きている事実をミクロに見れば、「空気の支配」となるのだと思う。

日本では、山には山の神が、海にも海の神が存在する。また、言葉にも霊的感覚が付随している。例えば、八の字は末広がりで縁起が良いとか、女の厄年が33(散々)歳で、男の厄年が42歳(死に)だとか、数え上げればきりがない。日本の国教たる神道の伝統下では、あらゆるものに臨在感があるので、我々は常に自然を始め自分を取り囲む周囲を恐れ、且つ、それらに感謝して生きている。つまり、超自然的な雰囲気に満たされた空気の中で生きているのである(注4)。その毎日の生活の中に、周囲の雰囲気に支配される習性が出来上がっていると思う。

それに加えて、山本七平が「日本教について」で、指摘しているように日本語で、論理の筋を保って話をしたり、文章を書いたりするのはかなり困難である(注5)。そこで、会話の能率を高める為に、どうしても単語そのものに価値判断が含まれる。それに比較して、英語圏などでは、単語ではなく文章そしてそこの論理で、物事の価値を判断する。この言語環境に置ける差は、非常に大きな文化的差を生む。一例を上げると、「女」と「女性」をNHKニュースでは明確に区別し用いている。“50代の女が、20歳の女性を暴行し、死に至らしめた”という文章では、「女」という単語の中に、マイナスの価値が既に含まれているので、「女性」と入れ替えることが出来ない。しかし、広辞苑(第二版)で“おんな”を引くと、「人間の性別の一つで、子を生み得る器官をそなえている方、女子、女性」とある。つまり、女=女性なのである。広辞苑でも基本的な単語さえ、正確な意味を定義できないのか、それとも天下のNHKが間違った定義で基本的な単語を用いているのか? 

この日本の言語空間の特異性は、言葉に霊的な何かが容易に臨在することの背景となっていると思う。例えば、原子爆弾を被弾した以降、「原子」という単語に霊が乗り移った様に、日本人は拒否反応を示した。実験用原子炉の導入の際、担当した学者がその空気との闘いに多大なエネルギーを要したことが書かれている。(注6;文庫版21頁)今でも、原子炉という言葉に、放射能という未知の幽霊よりも恐ろしい悪魔が臨在しているように感じている人が、二人の元総理以外にも大勢いる。つまり、原発に反対するという空気が日本中に満ちているのであり、そこには論理も何もない。言葉でも何でも臨在感的把握は、その対象物に神性をみるのだから、その後の命題の論理的展開などあり得ない。つまり、絶対的価値を生じるのである。

以上、日本において空気の支配が起こりやすい原因として、(1)儒教の影響が日常の価値の中に根付いていること;(2)汎神論的な神道が、国の背景に存在すること;(3)日本語は、原始的な骨格を持つ言語であり、単語に価値が含まれてしまうという特徴がある;の三つの原因があると私は思う。繰り返しになるが、それら:未発達な言語空間(注7)での論理展開の困難さ、それが原因で単語に価値を付着させる習慣、山や海など全てのものに神性を見る神道文化、人々の間に満ちている儒教的慣習、これらの全てはワンセットで、日本文化をかたち作っていると言えると思う。

山本七平の「日本論」における着眼点の鋭さは、恐らく、氏がキリスト教徒の家に生まれ、自分自身も洗礼を受けていること、つまり西欧文化の下に半分生きたということと関係があると思う。そして、神道という汎神教が支配的な国と一神教の国を比較するという視点で、解説したのがこの本であると思う。ただ読後、「山本七平は、何故もっと簡単に「空気の研究」を書けないのか」と、読者でありながら不遜な言葉が頭にうかんだ。

注釈:
1)山本七平著「空気の研究」(文芸春秋、文庫版)は、三つの文章からなる。その最初が“「空気」の研究”、次の文章が“「水=通常性」の研究”、最後が“日本的根本主義について”である。この感想文は、最初の二章を読んでの第一章に関するものである。
2)例えば、神社でおみくじを貰った場合、そこに書かれた自分の運気を見た後、くずかごに捨てる人はあまり居ない。それは、何か神聖なものを感じているからである。
3)日本には「小学生はランドセルを背負う」という根強い慣習がある。人生で一番高価なカバンを持ったのは、小学生の頃だったという人が多いのでないだろうか。この慣習に逆らう人は殆どいないが、我が家は一度試みた。1980年代後半の事であるが、こどもが小さいので布製サックを背負わせて通学させたことがあった。しばらくすると、近所で悪評が立った。その悪評がめぐりめぐって、我が家のこどもが苛められることになるかもしれないので、仕方なくランドセルを購入した。
4)「空気」を訳せば、プネウマ(pneuma)となるが、この英語は精霊或いは霊の意味である。それと同時に、pneumatics(空気力学)の単語から判る様に、元々空気という意味もある。従って、空気の支配は外国でもあるし、あったのである。
5)山本七平の「日本教について」の感想文も、既にブログに書いている。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/blog-post_18.html
6)この担当教授として、千谷利三という名前があった。関係ないが、私の出身講座の初代教授である。
7)日本語のこのような特徴は、別にHPに書いた。https://spin-chemistry.jp/NC/chieb/kotoba.html (2014/6/9)

2019年8月2日金曜日

再)明治維新と銃の性能:尊王攘夷派の背後に外国(英国?)の影

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルブログのマイページ内からでもキーワード検索できないので、検索に掛かるように軽微な編集ののちここに再録します。(2015年5月13日投稿)

 オリジナル:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/05/blog-post_13.html

「明治維新の過ち」(原田伊織著)と題する本を読んだ。その感想は後ほど書く予定(補足1)だが、今回は面白い記述を一つ見つけたので紹介したい。それは、鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争の勝敗を決めたのは、薩長を中心とする西軍(通常官軍と呼ぶ)の武器の性能が圧倒的に高かったことである。 

戦闘の際に重要なのは銃と大砲であるが、19世紀はそれら武器の改良が進んだ時代である。当時使われた銃の種類を下の表に示す。



前装式では銃を垂直に立てて銃弾と火薬を銃口から装填する必要があるので、時間がかかる上に、攻撃され易くなる姿勢をとらざるを得ず、不利である。また、ライフル溝が彫ってある銃から発射された銃弾は、回転しながら飛ぶので、弾道が安定して正確に的を射ることができる。更に、連発式になれば発射の時間間隔が短くなり有利になる。発射までの間隔であるが、ゲーベル銃で一発撃つ間に、ミニエー銃では2回、スナイダー銃では6回発射できるという。スペンサー銃は、機動性を重視して銃身が短く作られているが、連発式ライフルであり、更に大きな威力があっただろう。

西軍はミニエー銃、スナイドル銃、スペンサー銃を主に用いたが、仙台藩などはゲーベル銃が主であった。また、銃だけでなく大砲の性能にも同様に大差があったと書かれている。(上掲書217頁から始まるセクション)つまり、戦闘になれば武器の点でも勝負にならないのである。

従って、経済力や外国との交易能力が勝敗を決めるということになる筈である。経済力は勿論、外交能力も幕府の方優れていたことは、明らかな事実である(補足2)。薩摩は密貿易などで多少金があっただろうが、長州などの藩を考えると、高価な銃や大砲を幕府側に先だって揃えるのは困難だった筈である。それなのに何故、西軍(官軍)と東軍(幕府と佐幕派)で銃の性能に大差があるのか?その点には「明治維新の過ち」はふれていないのだが、恐らく西軍は海援隊などが英国のグラバーなどを通して、武器を多量に調達したのだろう(補足3)。

西軍は、攘夷の対象である筈の英国などの国(補足4)から資金面や作戦面などで、相当密接に関係していたのではないだろうか。幕府側と外国との関係に関しては、江戸城開城のときも、フランス公使が江戸城に何度も登城して、慶喜に抗戦してはどうかと進言したという例がある。グラバー邸に(トーマスグラバーと坂本龍馬らが)密談する部屋があったということも、このあたりのことと密接に関係ありそうだが、未だ十分には明らかにされていないようだ。

ただ、最近西鋭夫(スタンフォード大、フーバー研究所教授とあるが、判らない)と言う人の講演がネットで配信されており、その中(宣伝画面;有料なので全部は見ていない。)に、”坂本龍馬に何処かから大金が出ていた”という示唆があった。

補足:
1)池田信夫氏が感想文的なものを書いて発表している。http://agora-web.jp/archives/1640889.html
2)王政復古の大号令の後、将軍慶喜は諸外国に外交の相手は幕府であることを確認させている。
3)この本は一定の知識を前提としている様なので、その後半藤一利著の幕末史を読んだ。その中に、「薩長同盟の時に、薩摩がグラバー商会を通じて武器を買い、それを長州に廻すという約束がなされた」と言う内容の記述があった。(2015/6/26) 4)薩長が、攘夷を叫んだのは本音ではないだろう。本音は倒幕であると思う。また、池田屋事件の動機は、御所に放火して孝明天皇を長州に拉致する計画が発覚したからであった。そのことからも、尊王の気持ちも薄いことは明らかである。

三橋貴明や藤井聡が推奨するMMTについて:日本の病気はマクロ政策では解決しない

1)消費税増税反対の意見が、チャネル桜等のメディアにより何人かの経済人により出されている。それはよく分かる。政府が新しい政策をする上で必要なら、消費税増税よりも国債発行する余裕は未だ有る(補足1)と思うからである。現在、景気は低迷しており、消費税増税は景気低迷を長引かせることになると思われる。

補足1:現在、日本銀行は株式の半分以上を財務大臣が保有し、ほとんど国有銀行である。もし、政府と日銀の貸借対照表(バランスシート;BS)を一つにまとめれば、日銀が買い上げた国債はその時点で消滅する。その合算したBSの健全性は、ほとんどインフレ率がゼロであることを考えれば、証明されていると考えても良いように思う。

ここ数年間、内閣参与の浜田宏一氏の指導で、通貨発行量(マネタリーベース)の増加でデフレを克服しようと試みたが、その考え方はうまく行かなかった。この状況の下、内閣参与の藤井聡氏や三橋貴明氏は、現在米国で力を増しているMMT(modern monetary theory;現代通貨理論)の考え方を採用して、もっと財政支出を行うことで、民間企業や個人などの金融資産(マネーストック)を増加させる政策をとるべきだと主張している。しかし、それでは同じような結果、或いはもっと悪い結果になるのではないだろうか。そう思ったのが今回の記事を書いた動機である。(補足2)https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E

補足2:monetary baseは中央銀行の貨幣発行残高で、流通貨幣、日銀券残高、日銀当座預金の合計額。Money stockは民間経済主体が保有する金融資産残高で、一般法人、個人、地方公共団体などの通貨保有主体(金融機関・中央政府を除いた経済主体)が保有する通貨(現金通貨や預金通貨など)の残高

私は、素人ながら差し出がましいことを言うことになるのだが、さしあたり消費増税を中止すること、更に、国防環境の悪化を考慮してその部分の予算を増加して、需要増加政策を2−3年行うことには賛成である。しかし、それ以降の国土強靭化などの土木事業に大金を投資するのには反対である。何故なら、MMTそのものは日本では成立しない制度であり、MMT的政策もあまり適さないだと思うからである。

端的に言って、MMTが可能なのは、世界の決済通貨米ドルを発行する米国だけだと思う。MMT的政策を実行するだけの場合でも、自国通貨で国債を発行している国であると同時に、産業に国際競争力がある場合だと思う。何故なら、MMTを採用すれば、財政規律を失ってしまう可能性があること、更に、MMT理論が外国為替、輸出入の影響などを十分考慮しているかどうか怪しいと思うからである。

2)このMMTを考える上で参考になるのは、上記藤井氏らが米国から招いたニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授の記者会見である。https://www.youtube.com/watch?v=ofBu81yJSCA

MMTは、貨幣の発行は政府が必要に応じてお金を使うことによりなされるという体制であるので、通貨発行量を決定するのは、政府の財政支出である。そして、財政支出の歯止めの指標は、物価上昇率である。ただ、実質賃金換算の物価上昇率がどの程度なら、財政支出を増加させられるかについて、上記二つの解説を見る限り明確ではない。供給能力が需要を超えない限りと言う類の話はあるだろうが。

現在、各国の中央銀行が紙幣を発行しており、財政政策は国家により金融政策は中央銀行によりなされる。財政支出は税収と国債に頼って行われ、政府は政府の貸借対照表(BS)を意識して、財政規律を守る。従って、政府機能の効率化は、政府自身が財政状況を判断して行われる。既に記したようにMMTではその動機が、失われる可能性が高いと思う。

MMT的政策を勧める人たちの考えは以下のようである。:

需要が供給力に比べてかなり低くなっている日本のような状況で、需要増を物価上昇が起こるまで、政府の財政が牽引し進めることになる。需要の増加は、企業に供給能力増のための求人や設備投資を増加させ、経済成長を推進する。少なくとも、潜在失業などもない完全雇用の状況までは、財政増加はなされるべきであると考える。

(補足3)財政の大きさの限度の指標を与えるのはインフレ率である。従って、日本では例えばインフレ率が2%程度になるまで財政政策を行うべきである。
補足3:日本は完全雇用状態だというが、おそらく潜在失業がかなりあると思われると日本でMMTについて講演したステファニー・ケルトンニューヨーク州立大教授は記者会見で言っている。

しかし現在の日本では、インフレと財政の関係は講演者の説明ほど単純ではないと思う。それに上記記者会見の最後の方で質問があったように、インフレが突如起こる可能性が排除できない。ミンスキーモーメント(ミンスキーの瞬間)と言うらしい。物価も資産価格も群衆心理に左右され、危険だと気付いた時は手遅れのバブル崩壊ということになる危険性である。つまり、財政とインフレの関係が、線形関数や二次関数のような簡単な関数ではないのが、重要な問題点である。

日本における需要が供給能力を下回る状況は、将来不安が原因であり、日本人が金を使わないから不況なのではなく、経済が不健全であるから病気に備えようという心理の結果だろう。つまり、消費者は日本企業の国際競争力の一層の低下を感じているのではないのか。インフレ率が高くないのは、グローバリズムの結果であり、MMT的政策による需要の上昇が、供給側への圧力と物価への圧力となって経済発展をもたらすという図式は、一時的に働くが永続的ではないと思う。

3)もし、MMT的政策を日本が進めれば、会社の黒字幅が増加するだろう。しかし、それが賃金や設備投資に回ることはないだろう。何故なら、企業の利益剰余金は大きくなっているものの、かれらは労働生産性の向上、新規産業の立ち上げ、競争力向上のための設備投資などにそれを使わない。日本企業の利益剰余金は既に過去最大である。https://www.asahi.com/articles/ASL933C3QL93ULFA002.html

その結果、日本のマネーストックの対GDP比は非常に大きく、M2で見た場合米国の約3倍、EU圏の約2倍である。日本人はマクロに見た場合、実質的所得が増加していることの証明である。これで更にマネーストックを増加させるのは、この部分の解決にはならず、副作用に苦しむことになる危険性大であると思う。また、一般民の一時的な所得増があったとしても、マネーストックの上昇はもたらすが、消費に回らないと思う。せいぜい、株などの金融資産などへの投資に回る可能性が大きいと思う。それはバブルに繋がるだろう。

現在までに、日本銀行は国債をどんどん買って、お金をばらまいている。既に、日本の国債の6割ほどは日銀が買っている。それはこれまでの20年間実質的にMMT的政策をやってきたということだと思う。更に、日銀はREITやETFなどを既に相当買っている。それらは日本の資産の増加、更にそこからマネーストックの増加に寄与しているだろう。

上記三橋氏が国会議員の中で行なった上記講演で、財政支出で貧困層に何らかの政策を施すという主張は、通常の政治であり、MMTとは無関係である。かれらがMMTを主張するのは、別の企みがある。藤井氏の土木へのテコ入れである。偏った部分へのテコ入れは、経済を歪にするだけだと思う。

財政の増加は、国内の需要を増加させるだろうが、海外からの輸入量も増加させる。それは、貿易収支や為替に影響する。日本の不況は、財政と金融の問題で解決が難しいとした場合、そして、MMTは外国為替や貿易バランスの変化なども考慮していないのなら、日本には危険な気がする。

日本のような資源小国であり食の安全保障もされていない国では、外需を一定以上に確保することは円安防止の観点から非常に大事である。現在円高傾向にあるが、政府が放漫財政に至れば、直ぐに円安に悩むようになると思う。そして、安易な財政支出は日本企業の国際的競争力を高めることを阻害してしまう。

日本経済の低迷は政府支出の低迷ではなく、日本企業の開発能力、新規産業の創出レベルの低さ、などに原因の第一がある。政府は行政を効率化する義務を放棄すれば、(何度も言うが)放漫財政に陥る。現在の通貨制度はその放漫財政防止を重視するようにできている。

現在の日本経済低迷問題の解決の要点は、MMTという通貨の革命にではなく、日本文化(価値の文化、労働の文化、人事の文化など)の革命にあると私は思う。

日本の人事では、優秀な者を高いポストに着ける事になっていない。何故、ダイソンの扇風機や掃除機が日本で開発できなかったのか?東芝はその扇風機の開発した人間のアイデアを何故取り上げる事ができなかったのか? 何故、新規産業が日本で発生し難いのか、何故、例えばスマホ決済などの導入で労働生産性の向上ができないのか? 日本経済の治療には、別角度の視点や経済ではミクロの視点が大事であり、マクロには既に精一杯の努力をしてきたと思う。

司馬遼太郎が生前指摘したように、現場には相当優秀な人材がいても、中枢には馬鹿なトップが多い。政治家も同様である。その文化に由来する組織の弱点を如何に解決するかが問題である。財政や金融といったマクロ経済的施策だけを議論していては、日本の弱点は克服されないだろう。 https://www.youtube.com/watch?v=sSNV0Mnh-WY

以上、素人の考えですので、経済に知識のある方のコメントを期待します。