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2020年9月5日土曜日

街中を汚くする看板:言霊の国日本

高脂血症のため、できるだけ散歩をしている。熱帯夜でなかったので、今朝は清々しい中、2.5km歩いた。新興住宅地のあちこちに様々な標語が掲示されているので、写真をとった。今日見た看板や掲示の一部を下に示す。(本当に今日撮ったもの)

 

今朝は、気温が低かったので、散歩する人が多かった。人々はひたすら無言で散歩しているのが面白い。右下の標識が示すように、幅2m程の自転車道と散歩道が並行して作られているのだが、遠くに同じ筋を逆方向に進む人を見つければ、自転車道を歩いていれば、歩行者道に筋を替えて無言で衝突を防ぐ。因みに、バイクは日本では自転車を意味しない。モーターサイクルを意味する。(補足1)

 

バイク(エンジン付き)乗入禁止なら、何らかのオーソリティからの警告だと受け取る人がほとんどだろう。また、上段左端の政党のプロパガンダビラには、それなりの効果がある。そのほかの看板や掲示には、なんとも奇妙な感じがする。設置した者たちは、これらの看板や掲示が、近くの人に語りかけることを期待するのだろうか?

 

「交差点 急ぐ気持ちが 事故のもと」という看板は、川柳か何かの展示と見てしまう。それを見る多くの人は、急ぐ気持ちがいけないと自分に言い聞かせるのだろうか? その作品を見て不注意になり、むしろ車に跳ねられる危険性があると思うのは私だけだろうか。

 

「空き巣にご用心 声掛け鍵掛けしっかりと」も75調の作品のようだ。こんなもの街角に置いて何になるのだろうと思う。ただ、設置する側の感覚では、町中に緊張感を持ち込んで、犯罪を減らすことが出来ると言うのだろう。

 

更に、上段の「ぼくの飼い主はグッドマナー」なんて、笑ってしまう。勿論、犬の散歩のときに排泄物を放置するのはマナー違反ですと書く、隣の掲示と同じ効果を考えている。ただ、「あなたもマナーをわきまえた紳士・淑女ですよね」と勝手に決めつけているのである。

 

下の段の左端の掲示は、小学校の校門近くに設置された掲示板である。「心豊かなたくましい子供に育てよう。究める子、温かな子、鍛える子」と書かれている。地元のロータリークラブの寄贈した看板である。これも不思議である。この看板にいったいどのような効果があるのか?

 

この看板を寄贈したロータリークラブの方々は、「心豊かなたくましい子供、究める子、温かい子、鍛える子」とはどのような子供であり、それを育てるにはどのような教育をすべきか、答えてもらいたい。答えなど用意していないだろう。

 

以上の看板や掲示のほとんどは、当事者が何らかの報酬を得るために仕事として行った、街中へのゴミのバラまきにすぎない。

 

2)言霊の国日本:

 

 看板に書いてそっと置くのは、日本人は目の前の人に注意など怖ろしくてできないからである。何故なら、注意することはコミュニケーションではなく、言葉による攻撃だからである。日本人が議論できないのは、言葉の交換(つまり議論)は、言葉による格闘になるからである。従って、議論から新しい見方を手に入れることが非常に苦手である。それは日本病の一つだと私は思う。(石破茂氏の評価に関するバトル:https://www.youtube.com/watch?v=b4-7o4MR_-s&t=112s

 

例えば、チャネル桜などで右系の方々が議論しているのは、本当の議論ではない。単に、話の合う人達が意気投合して気分を盛り上げる井戸端会談にすぎない。言霊の国日本を副題にしたのは、そのような意味を込めた。

 

(17:00、2番目のセクション追加)

 

補足:

 

1)災害の時の逃げ込む場所である小学校の体育館に、避難場所、evacuation areaと書いてある。本当は、a place for refugeの意味だろう。それなら退避所位が適当な言葉だと思う。ポルトガル語らしき、local de refugioという掲示が最も正しいのではないだろうか?

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