今回は、安倍総理が経済対策として決定した、全国民への一律10万円配布について書きます。その後、何故、このようにコロコロと政策が変わるのか、そして、今回の新型コロナ肺炎の発病者に平等の医療機会を与え、信頼できる感染情報等を国際社会に発信するなど、韓国や台湾が持つ危機管理能力が何故日本にないのか等について、少し議論をします。
1)辛坊治郎と木村太郎両氏の意見
今朝、ヤフーニュースで配信された時事通信の記事は、今回政府が行う経済対策について、以下のように記述している。
安倍晋三首相は減収世帯への30万円給付を撤回し、全国民への一律10万円給付を決めた。公明党の主張を全面的に受け入れたためだが、30万円給付を主導した自民党の岸田文雄政調会長のメンツは丸つぶれとなった。
「お金持ちの収入が減ったから、現金を給付しなければならない。しかし、収入が減らない元々の貧乏人は、まあ、そのままで良いだろう」これが、1日前まで自民党政府が決定していた減収家庭への30万円給付案であった。
自民党政府は、国民を平等に扱うという民主政治の原点を無視して来た。上記政策の発想は、霞が関のお殿様が、被災した臣下に、その身分に応じて小判を配るというものである。殿様とて、金が余っている訳ではないと言いたいためか、御用マスコミで「私は、受け取るつもりはありません」という一部お金持ちの言葉を放送しているようだ。
その政府とマスコミの姿勢に違和感を感じると言うのが、辛坊治郎氏や木村太郎氏である。辛坊治郎氏は、今朝のウェイクアップで以下のように発言したようだ。
「国民一律10万円って言いながら、一部のお金持ったような人たちが『私はもらわない』とか『受け取るつもりはありません』って(テレビで言っている)。受け取らないのは勝手だけど、それをあえて言う必要はあるのか。受け取ることに心理的ハードルを作ってしまうと社会的分断も招くし、意味がなくなる」と指摘。(カッコ内は私が補足)
https://news.livedoor.com/article/detail/18138825/
木村太郎氏も以下のように言っている。
「政府が身銭をきって(新型コロナウイルス対策)やってます、と表明するためにお金を払うようなもの」と解説。「全員に行き渡らなきゃいけないんで、麻生さんが『手を挙げた人だけ(に配る)』なんて、そんな問題じゃないんです」「収入が高いとか低いとかの話ではなくて、みんなでこれをやりましょう、ってことだから、僕は手を挙げますよ。で、(お金を受け)取りに行く」。(カッコ内は原文のまま)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00000075-dal-ent
両氏の話をそのまま転記したのでは、その意味が今ひとつ分かりにくい。私なりに分析すると以下のようになる。
困窮世帯には急いでお金を支給しなければならないと考えるのなら、収入の増減など無関係の筈である。新型コロナ肺炎とも無関係の筈である。それは福祉政策であって、安倍総理が言う経済対策ではない。
コロナ肺炎が一段落して、景気を元に戻すための消費喚起の一律配布なら、全国民に(辞退など期待せずに)その機会を与えるべきである。「口先だけ大盤振る舞いをさせてくれ」というのなら、それは国家レベルの政治ではない。
こんな単純なことが分からない自民党政府の愚かさは、コロナ肺炎に対する場当たり的な対策と同様、非難されるべきである。日本国民は、コロナ肺炎を期に、一から政治を考え、新しい政治の必要性を議論すべきである。
2)根腐れした日本国
現在のような政治になったことの分析には、何時も書いているように明治からの歴史を再検証しなければならない。一番最近の文章を引用しておく。その「日本亡国の鉄路」を中野剛志は、ロックインモデルで解説した。別の言い方をして良いのなら、日本国の根腐れだろう。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/12/blog-post_20.html
そこから回復することは、年を経る毎に困難になる。1970年に、日本がその鉄路の先にある運命から脱出出来ないことを悟った三島由紀夫が、自衛隊員の前で割腹自殺した。そして、平成時代が始まる頃には、多くの知識層が日本の政治改革を不可能だと考えて、挑戦する気を失ってしまったと思う。
誰が挑戦しても、国家と呼べるほどの政治など、この国に実現する筈はないのだから、利己主義に徹するか、グローバリズムの波を歓迎して、海外で実力を発揮すれば良いと考えたのだろう。
そして、21世紀になり、奇人変人か普通の町内会長レベルが総理大臣になる国になった。現在の総理は未だ良い方だという意見もあったが、日本の現状から抜け出すには程遠い。その祖国を憂いながら、予告して川に身を投げた評論家もいた。安倍総理の米国議会での演説を悲しんだ西部邁氏は、チャネル桜で「本土決戦であと百万人死んでいたら、もっとまともな国になっていたかもしれない」と言ったことがあった。(補足1)
「亡国の鉄路」からの脱出には、本土決戦レベルのことが必要だったのかもしれない。ましてや、今回のコロナ騒ぎが、そのようなエネルギーを国民の間に醸成する筈はないだろう。誰が腹を切ろうが、身を投げようが、マスコミは冷静を保ち、国民は危機感を抱かなかった。
今回の新型コロナ肺炎の流行と日本の対応の遅れ、稚拙な対策は、日本の国家としての弱点、政治の貧困を炙り出した。先進国だと思っていた日本は、発病者に適切な情報と医療を与えないこと、国際的にも情報を隠すことで、何とか医療の崩壊を防ごうとする発展途上国のような国だった。
先を読んで、医療のキャパシティを拡大するような対策を立てる実力などない。患者で溢れたら、病院での治療と自宅やホテルでの待機組に分ける方法で、「命の選択」を保健所にさせる程度の知恵しか浮かばない。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12590209168.html
お医者さんの団体は票につながるので、内閣は厚生労働省の役人に言われるままに、世界一の病院ベッド数(人口当たり)を持つ国にした。今回は、その幸運を活かして、病院ベッドを上手く区分けして、感染者用ベッドとして確保できただろう。そこに、人工呼吸器などを揃えれば、PCRテストを増やしても対応出来ただろう。まともな国であったならの話である。
補足:
1)確かにチャネル桜で、伊藤貫氏との討論で発言したと記憶している。その発言の意味するところは、国民の大半は敵を直接見ることが出来なかった。マッカーサーは本土上陸と同時に国民の味方に変身していたのである。韓国は独立国になった。何故なら、日本という敵を創造できたからである。人間とは所詮、その程度の動物なのだ。
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